鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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かな肩衣を用いたようで『後法興院政家記』延徳3年(1495)8月27日条の足利義材の江州追討出陣の記事に「武家衆,或鎧直垂,或カタギヌ,四ノハカマ,小具足,或帯甲胄」とあるように陣肩衣,胴肩衣ともいわれた。また前述のように袖無しの胴服から発生したものもあり,陣胴服とも呼ばれた。狭義には,袖無し,裾開きで背割りの仕立をいう。陣羽織はその性格上相反する二つの特徴を持つようになったといえる。その一つは寒さや雨露から身を守るためや戦術の変化による機動性のため,実用的な機能性が必要なことである。また一つには,存在誇示や応接のため威儀を正すためや,死を賭けた戦場にあって最後を華々しく飾ろうとする心理などから意匠を凝らしたデザインが用いられたことである。前者の要求に答えたのが,南蛮人によってもたらされた毛織物類である。狸々緋,白,黄,緑,黒,紫,青などで,中には従来の日本にはなかった色彩もあり,水をはじく性質も陣羽織には適した裂地であった。舶載された裂地には木綿があり,吸湿性,通気性に優れたこれを陣羽織に使用した武将に山内忠義がいる。第二の要素である華麗さや威儀を正すための目的の陣羽織にはビロードや黄緞,はぐまを用いたものなどがある。これに加えて羅紗も用いられ,収集した陣羽織の形態はこの織物によってありとあらゆるデザインが試みられたといっても過言ではない。羅紗は厚みのある裂地であったため,意匠技法の一つに切嵌が考案された。これは地の羅紗を模様に切取り,別の羅紗を除いた所に嵌め込むもので表裏に針目が見えないようにかがっている。陣羽織にも,曲線裁断は用いられているが,これへの影響は舶載の裂地を用いたことである。それに対して,具足下着は形態に南蛮服飾の影響を大きく受けたものといえる。具足下着は夏は麻,木綿,冬は綿入れの絹が用いられた。そして具足の下に着用するという性格上,動きやすさが求められた。そこで取り入れられたのが,曲線裁断である。わが国の服飾は直線裁断によって仕立てられてきたが,この曲線裁断によって身体に添った,動きやすい衣服を作りだすことが出来たのである。収集した具足下着の中には,現在の服飾としてもおかしくないくらい「洋服」といえるものがあり,襟やカフスが付けられている。おおむね身頃は「きもの」の形態をとっているが,立襟や袖の形,袖付けなどに南蛮服飾の影響が色濃いものとなっている。また,その他の服飾としてのリストを製作したが,これは前述の服飾以外に南蛮服-350-

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