鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑭ 日本リノカット史序説—前衛運動の継承問題研究者:神奈川県立近代美術館主任学芸員水沢はじめに日本におけるリノカットの歴史的展開については,従来,まとまった記述がなされたことはなかった。わずかに小野忠重の諸著作にリノカットの日本への導入についての記述がみられるものの(注1)'リノカットという技法そのものが木版画に代わるべき教育的な代用的で二義的なものとみなされたこともあって,それだけを対象に論じられることが少なかったものと考えられる。しかし,わずかな作例とはいえ,H本にリノカットは,きわめてはやい時期に伝えられ,すでに1920年代はじめにその最初の到達点ともいうべき成果をマヴォの運動が生み出している。「マヴォ」と同名のその機関誌『マヴォ』のレイアウトを担当した岡田龍夫をはじめとする柳川愧人,矢橋公麿ら「マヴォ」同人たちの作品である。それはほとんど世界的で同時代的な連動といってさしつかえなのない質と量を備えたものであった。しかし,「マヴォ」が近代美術史の逸話的なあつかいを甘受してきたのが,ようやく諸外国での再評価(注2)を経て,五十殿利治の一連の研究(注3)によって,しかるべき検討が加えられるだけの基礎資料研究が整いつつある。しかし,重要な作例のほとんどが「マヴォ」の運動のなかに認められるリノカットが,二重の意味で無視され,本格的に研究されてこなかったのもその研究状況を考慮するとき故なしとしない。本研究では,このほとんど顧みられることのなかったリノカットの作例を調査し,かならずしも「マヴォ」によって突然リノカットが登場したわけではないことを跡付け,大正初年以降,繰り返し日本にまで及んできたモダニズムのもっとも先端的な部分に,このリノカットという真新しい版画技法が含まれていたこと,そして,きわめて例外的なものとはいえ,その浸透の反復という前史があってはじめて「マヴォ」によるリノカットの開花が可能であったという過程がこの研究を踏まえ,将来本格的に歴史的に解明されることが期待される。日本でのリノカットの紹介:その1,ヴィルヘルム・モルグナーイギリスの発明家フレデリック・ウォールトンFredericWal tonが,1860年代に特言午を申請した床敷材料であるリノリウムが,版の素材に転用することが可能であるこ勉-361-

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