鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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31.毛ものつかひ(自刻自摺七枚の内二枚目)……………ニニ園からヨーロッパの同時代の画家たちの「作品百五十余点」(山田の証言に拠る)を託されたうちにモルグナーの作品がかなり含まれていたと推測されることは,こうした背景を考えるときに,けっして不自然なことではない。この「百五十余点」の全貌は,現在,資料的に確認することはできないが,そのうちの70点については,山田らが帰国後,1914年3月14日から同月18日まで東京の日比谷美術館で開催した「DERSTURM 木版画展覧会」の目録によって内容を確認することができる。それに拠れば,同展に展示されたモルグナー作品は以下の10点である。32.女のゐる畑(自刻自摺七枚の内二枚目)………………一八圃41.樵夫の家庭(自刻自摺十枚の内三枚目)………………ニニ園このうち最初の4点については,木版画であることが確かめられるが,54番以降の「聖書から」とされる一連の作品のうちに,雑誌『デア・シュトルム』第168/169合併号の表紙に「Linoleumschnitt」として紹介されているものと照合できるものが1点存在することを藤井久栄がその研究で明らかにしている(注6)。「聖書から」という題名の記載は,『デア・シュトルム』にはなく,日本での展示の際の便宜的なものであったと推測される(『美術新報』第13巻第6号に掲載された作品写真のネームは,原文どおり引用すれば,「宗教八種の内(版画)モルグ,ナー筆」であり,題名ばかりでなく,作家名,エディションの認識も雑誌編集者にとってあいまいであったことがうかがわれる)。これらの作品の技法もかならずしも統一されたものでなかったと考えるのが自然であろう。しかし,少なくとも,このモルグナー作品が日本で最初に紹介されたリノカットであったという事実は明記されるべきである。ただし,モルグナー自身,あまりリノカットであることを意識せず,日比谷美術館出品作にも「HolzschnittNo.2.Handdr.〔木40.ものを喰ってゐる樵夫(自刻自摺十枚の内二枚目)…二0回54.聖書から(自刻自摺八枚の内No.2.)………………ー五園55.同56.同57.同58.同59.同(同)..................................................・-五圃(同)..................................................・-五圃(同)..................................................・-五園(同)..................................................・-五園(同)..................................................・-五圃-363-

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