鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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5)ランパーン窯(ランパーン県)7)ナーン窯(ナーン県)釉・白濁釉を除けばほとんどが青磁製品で,器種としては盤と碗.鉢類が圧倒的に多く,陶片を通じてみるかぎり端正な成形法や均質な施釉法など安定した焼成技術による生産状況がうかがえる。起源や他の地域の窯との関係など現在のところ一切不明で,今後の研究成果が期待される窯である。ランパーンはチェンマイの南東80キロにあり,モン族によるハリプンチャイ王国が栄えた11世紀ころからの町だと伝えられる。窯址は町の東北5キロほどの田圃の中にあり,窯址一帯は100年ほど前までワット・トントンチャイという寺院があったという灌木の茂る小丘である。100メートル四方くらいに陶片が散在しており,製品は褐釉を掛けた厚手の壷・甕.碗などの日常品が主に焼かれたようである。数キロ離れたところにあるワット・チェディサウの資料展示室には,この窯址から出土した陶片多数か展示してある。6)ランプーン窯(チェンマイ県)ランプーンはチェンマイの南20キロに位置し,モン族の興したハリプンチャヤ王国の都と考えられている町である。窯址は町の南数キロのところにあり,町を南北に貰いて流れるピン川の川岸に築かれているが,構造からして昇烙窯の一種と思われ,付近に落ちている陶片もタイ寺院などで見かける薄く平らな屋根瓦の一部と思われるものばかりで,陶器の破片はみつけることができなかった。ナーン市の南西10キロに位置するボスワック窯はごく最近に発見された窯で,タイ芸術局の発掘調査が数年前に行われ,1基の窯址のみが確認されている。この窯の大きな特徴は匝鉢を本格的に使用して焼いていることで,窯址一帯には大量の匝鉢の陶片が散在している。円形の筒状の匝鉢は径が15■25センチで高さは10■15センチのものがほとんどで,外面には釉葉を掛け,側壁の底部近くに小穴を2ないし3個うがって空気抜きとしている。これらは中に製品を入れ重ねて焼いたらしく,他に蓋として用いたと思われる円盤状の板の陶片も出ている。これと同様の本格的な厘鉢は,今回の調査では他に見ることができなかったし,タイ国内ではおそらくナーンでしか発見されていないのではなかろうか。とすれば,上手の製品を焼くための高度な技術であるその焼成技術がどのような経緯でナーンに来ているのか興味深いところである。地理的にみてもナーンはラオスに近く,この方面との関わりに感心がもたれるが,現在-372-

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