鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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コーノイ窯ではモン・タイプに続いて青磁が造り始められたと考えられているが,主流を占める刻花文様の製品が焼かれる以前に,鉄絵文様を施した青磁が造られていたと推測されている。筆者も今回コーノイ北部で鉄絵文の青磁陶片を若干採集したが,数量はきわめて少なく出上地域も限られるようである。しかしなからこれはシーサッチャナライ製品に限らないが,確実な年代の基準になる資料は全く発見されていないので,以上のような年代推定も現在のところある程度の幅をもって考えぢるをえない状況にある。代表的なタイ陶磁であるサンカローク青磁の本格的な生産開始時期は,スコータイ王朝のラーマカムヘン大王の碑文にある記述を基準にしておおよそ13世紀ころと考えられてきたが,近年では各地で発見があいついでいる沈船資料や他の考古資料などから考えて,かなり年代を下げて考えるべきではないかとの意見が大勢をしめつつあるようであり,さらにはラーマカムヘン大王の碑文そのものへの疑問すら提出され論議の対象となっている。この問題はスコータイ以来のタイ王朝史の根幹にも関わるものであり,サンカロークを代表とする陶磁資料には,その意味でも大きな関心が寄せられている。決定的な年代資料を欠くタイ陶磁研究で,近年来重要な関心がもたれているのはタイ湾を中心とする沈船遺物資料である。青磁を含む代表的なタイプのサンカロークの製品がベトナムや中国製品とともに出土していて,そのうち幾つかの沈船遺跡からは,紀年銘をともなう中国の陶磁資料が発見されており,サンカロークの盛期の活動を従来より数百年下げて考えるべきだという説の有力な根拠になっている。沈船資料に関してはタイ各地にあるほとんどの国立博物館に沈船からの引き上げ遺物が展示してあるが,ひとつの遺跡からの資料が全国各地に分散して展示してあり,加えて付属するデータもほとんど添付されていないため一次資料からのまとまった研究はきわめて国難である。報告書についてはタイ考古局からタイ語によるごく限られた簡易印刷物が出されているようであるが,今回は入手することができなかった。また共同調査をおこなったオーストラリアからは英文の簡略な報告書が幾つか出版され,専門誌にも資料紹介の論文などが発表されていて,現在のところそれらの文献をたよりに研究をすすめざるをえない。その沈船遺物に関して,数年前に話題になった資料を一括して見る機会に恵まれた。オーストラリアのトレジャーハンターがタイ湾で引き上げた遺物をタイ政府が自国領海内の発見物として接収したもので,現在チャンタブリの水中考古学資料館にまとめ-374-

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