鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
385/588

2)スコータイ窯(スコータイ県)3)メナム・ノイ窯(シンブリ県)て保管してある。これまでにタイ湾で発見・報告された沈船遺跡の中でも最大級のもので,総点数でおそらくは1万点以上はあろうかという量にのぼり種類別に整理して保管されている。内容はタイ陶磁が中心を占めベトナムのものがこれに次ぎ,中国製品は4点のみということであった。特徴は同じ種類の製品が相当量ずつあり,陶磁製品そのものが交易品として運ばれていたと推測されることである。ほとんどが完器であるが,サンカロークの青磁の盤など上手のものの割合は比較的少なく,大部分が大小の壷や甕小鉢などの日常品で,どの地域へ向けて運んでいたのか興味深いところである。時代についてはおおよそ16• 7世紀ころかと思われるが,やはり確証となる資料には乏しい。スコータイ窯は1日スコータイ城址の北側城壁の側に築かれていた古窯址群で,50基ほどの存在が確認されている。窯の構造は基本的には煉瓦で築かれた後期のシーサッチャナライ窯と同じものであるが,大きさは若干小さく,また素焼きを行ったと思われる昇焔式窯が比較的たくさん築かれていることが異なる。シーサッチャナライでも昇焔式窯は存在することが報告されているが,スコータイでは横焔式窯址のかたわらにほとんどセットで造られたかのように多く残っている。また重ね焼きに使用する突起をもった円盤状の窯道具が非常にたくさん見当たる(しかも型造りである)のも顕著な特徴である。シーサッチャナライでも使用されているがこれほど徹底したものではなく,むしろ見込みに目跡が残っているのをみつけるのに苦労するほどである。輸出向けの商品としてできるだけキズのない端正な製品を焼いた窯と,建築装飾と国内向けの製品を主に生産していた窯との違いであろうか。さらにスコータイ窯の製品の大きな特徴は,胎土に白い砂状の斑点が含まれていることで,今回調査した他のタイの窯の中には同様の胎土は見出せなかった。施釉前に白化粧土を掛けることや見込みに目跡を伴うものが圧倒的であることなどを考え合わせれば,スコータイの製品かどうかの判断は比較的安定して判断できるように思える。堺や博多など日本各地で発見される褐釉四耳壷の生産地として,最近その場所が特定できた窯である。現地はシンブリ県チャンクラット村にあるワット・プラプラーンという寺の脇にあり,すぐ前を灌漑用の川が流れている。古窯址はタイ芸術局の手によって1985年以降5基が発掘され,現在までにタイ語による報告書が2冊刊行されて-375-

元のページ  ../index.html#385

このブックを見る