⑯ スペインにおけるシュルレアリスム1994年10月にマドリードの国立レイナ・ソフィア芸術センター美術館で始まった『ダ研究者:東京造形大学助教授岡村多佳夫ーサルバドール・ダリの問題一リ・ホベン(若きダリ)』と,『スペインにおけるシュルレアリスム』展によってスペインのシュルレアリスムの全貌が完全とは言い難い部分もあるがあらわになり,同地における前衛芸術の動きを知るうえで重要な意味をもつ展覧会となった。なぜ完全ではないかというと,後者の展覧会がスペインのシュルレアリスムを市民戦争の終焉に至るまでで区切っているからである。共和国政府を支持したシュルレアリストたちのなかで,市民戦争後も同地に留まり,困難な状況下でなお制作活動を行い発表を続けた作家たちの問題は,芸術上の問題や,政治上の問題などさまざまな角度から論議されなければならないだろうし,アントニ・タピエスら1950年代に現れるダウ・アル・セットのグループやアンフォルメルの画家たちに道を開いた,という意味も含めて重要な点があるといえるだろう。さて,今回の調査研究の主眼は以前から研究してきたシュルレアリストとして知られる画家サルバドール・ダリのシュルレアリスム的表現がいつごろに現れたか,そして彼がスペインの,あるいはカタルーニャの芸術においてどのような役割を果たしたかを,さらにスペイン近現代における芸術運動のなかで,シュルレアリスムがどのように浸透し発展したかを調べることであった。そのなかで今回の展覧会は有意義なものであり,それによって若干であるが問題が明らかになった。サルバドール・ダリは亡くなる前年の1988年に,「シュルレアリスム,それは私だ」というメッセージを残している(注1)。ことあるごとに「生を生きる前に死を生きた」と語っていたダリが,シュルレアリスムの精神を体現したのが自分だと考えたとしても不思議ではない。しかしまた,それが作品に対する言説ではないのも明らかだろう。アンドレ・ブルトンはすでにダリのこの資質に関して理解していた。彼によれば,「3'4年のあいだ,ダリはシュルレアリスムの精神を具現化し,その光彩すべてを輝かせていた」(注2)。ここで語られている時間は,ダリが初めてパリのゴーマン画廊で展-380-
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