「ぶどう酒も薄明も知らない水夫たち/鉛の海でセイレネスのこうべを制ねる/慎み深い黒い彫像夜はその手で/月のまるい鏡を抱いているフォルムと限界への欲望が僕らを圧倒する/男が現われて黄色いメートル尺を当てるIウェヌスは白い静物画/蝶の収集家たちがあたふたと去っていく(中略)きみ自身がまたきみの絵が語るものをぼくは語るのだ/ぼくはきみの若い未熟な筆使いを褒めることはしないが/きみの矢の確かな方角を歌うのだ/カタルーニャの光のきみの美しい努力を/説明可能なものへのきみの愛を歌う/フランス製のトランプの傷ひとつない/きみの優しい天文学的な心を歌うのだ(中略)きみが休みなく追い求める彫像の渇望を/また街頭できみを待つ感動への不安を歌う/・・・・・・・・・・・・。(鼓直訳)ここで歌われた彫像の渇望はもちろんギリシア的なるもの,理想的な美しさの追求でもある。ところで,1927年に,ロルカはバルセロナのゴヤ劇場で,ダリの美術で『マリアナ・ピネダ』を上演し,ダルマウ画廊で展覧会を開いているが,この時二人はアンプリアスを訪れている。その際にダリは,「アンプリアスの浜の詩人,フェデリコ・ガルシア・ロルカ」という挿絵を雑誌『芸術の友』(1927年6月30日号)に発表しているが,そこには浜辺に立つこの詩人の周りに,ギリシア彫刻の頭部と,小枝を握りしめ血管の浮きでた肘から上の片手が,さらに『器官と手』にでてくる器官のような三角定規が描かれている。ダリがシュルレアリステッィクな作品を描くようになった原因のひとつとして,ロルカやルイス・ブニュエルの影響があるといわれてきた。しかしながら,この時期の作品や,二年ほど前の『バスター・キートンの結婚』[図7]や,『腐敗』[図8]あるいは『静脈瘤の本』などを見ていくと,シュルレアリスム的表現がダリのなかで少しずつ熟成していったことがわかるだろう。すなわち,『バスター・キートン』のなかには,キートンの写真と天文図と文章がコラージュされているが,それらは『蜜は血よりも甘い』などに表わされた切り取られ,宙に浮いた乳房へと変換されていく。さらに,『静脈瘤の本」では胸をおさえた女性の写真があり[図9],その下に「プリンシピオ」という書き込みがある。この言葉をどのように解釈するかはさまざまだろうが,-384-
元のページ ../index.html#394