ヽヽノ起源であり,病気の始まりでもあると考えていいだろう。そしてこのこともまた乳房と,その切断と関連してくると思われる。さらにこれらの切断はまた,首の無い女性像と結ばれる。この像はロルカが歌った,「こうべを訓ね」られたセイレネスなのだろうか。このことに関しては後に述べるが,これを美しい声で水夫を誘うセイレネスと考えることもできるであろうし,1925年に描かれた『ヴィーナスと水夫』と関係し,ヴィーナスと考えることもできるであろう。そのヴィーナスは水夫に梵れ掛かり,娼婦のように示されている。そしてその種の人物像が『器官と手』の画面右手に小さく,水着姿でハィヒールを履いた姿で現れる。この女性もまた娼婦的性格を備えていると思われる。ところで,ハィヒールを履いた女性のポーズは,ほぼ同時期に描かれたサン・セバスチャンのデッサンと類似する[図10]。サン・セバスチャンはカダケスの守護聖者であるが,同年のロルカに捧げた「サン・セバスティア」でダリは,「矢を舌平目に変形してある,サン・セバスチャンの新しいタイプをきみに「勧める」。優美さの起源はセバスチャンを魅惑的に死んで行かせることだ」と記し[図11],頭の半分は「メドゥーサの頭に似た物質で形成される」と続けている。ドオーン・エイデスによって引用されたこれらの文章はダリの作品にたいして多くの示唆を与えてくれる。というのも,頭がメドゥーサであるならば首の無い裸の女性は明らかであろう。つまり,先程述べたようなセイレネスでも,ヴィーナスでもないということだ。しかしながら,それでもなお,ダリがロルカの詩からある種のイメージを受け取り,影響を受けたということは考慮にいれてもいいだろう。/ 図11図10--386--
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