3.様式Aneu,ブルガルのサン・ペレSanPere de Burgalと共に,「ペドレー・マスター」11世紀末の製作とみなした(注24)。G.リシェールは,先人に倣い,ファルファ,チバCh.R.ポストは,主祭室壁画が,カタルーニャ美術館にある両祭室部と同じ作家に4.製作年代B.アル=ハムダーニは,中央祭室の壁画をヨーロッパの黙示録絵画伝統の中に位置づけたが(注14),ジャルサは,さらに,クラインによって打ち立てられた黙示録の幾つかの伝統のうち,ノバーラの洗礼堂,チバーテ,カステル・サンテリア,アニャー二の属する系統に帰せしめると共に,主祭室のアポカリプスのテーマと「選民」,「10人の乙女」が,図像プログラムの上で有機的に関連していることを示唆した(注15)。最近では,Y.クリスト,辻佐保子氏により,北側壁の「香炉を振りながら祭壇に近づ<天使」,「祭壇の下の殉教者の魂J等の図像から,ペドレー壁画の全体に典礼式文の反映を読み取る試みがなされている(注16)。よるものとみなし,ェステーリ・ダナウのサンタ・マリアSantaMaria de Esterri d' という呼称を与えた(注17)。W.W.S.クックらは,さらに発展させて,アーヘルAger,トレドスTredosもその範疇に置いた(注18)。また,M.デュルリアーは,サン・リジエーSantLisierと,J.エノーは,プルジャスコSanCarlo de Pruggiascoの作例をペドレーと同一様式と考えた(注19)。ペドレー壁画全体に関して,Ch.ポストがアブラハム,長老の顔貌をエステーリ・ダナウの「預言者」と,「10人の乙女」をプルガルの「奉献者」像と比較し,「手」が幾つかに分かれることを示唆した(注20)一方でカルボネールは,すべてが同ー作者の「手」に帰されるものとみなした(注21)。それに対してJ.ジャルサは,古典的技法を用いるマスター(4騎手,ユリッタとキリアコス,アブラハム)と,より写実的表現を特徴とするマスター(24長老と10人の乙女)とに二分されることを指摘した(注22)。また,最近,カタルーニャ壁画の顔料の科学的分析が行われ,いわゆるペドレー・マスター(エステーリ・ダナウ,ブルガル)が,北イタリアから転入してきた作家の手になることがほぼ立証された(注23)。J.グディオーリ=クニルは,ペドレーの作例をロマネスク時代最古のものと規定し,-392-
元のページ ../index.html#402