鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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注(1) カタルーニャロマネスク壁画の修復,移管作業は,1906年より,カタルーニャ政ーテ,ガリアーノのようなイタリア絵画との比較が可能であるとするが,製作年代に関しては,12世紀の会堂拡張の後と考えた(注25)。Ch.L.クーンは,当該作例がチバーテと比較されるのは,そのトーチの形状の類似故であり,それらは,早くラブラ福音書に見出されることを指摘した。また,Ch.ポストのイタリアからの影響説を引用しながら,『リポーィ聖書」に現れる「10人の乙女」の図像が,やはりビザンティン風衣装で表されるとのミレーの指摘を引用しながら,ペドレーの作例が11世紀第一四半世紀の製作であると考えた(注26)。また,J.エノーは,ペドレーと関連するブルガルの壁画の年代より,この作例を11世紀末のものとみなす(注27)。J.カルデレールは,ブルガルに様式の近い新発見のルスRusのサン・ビセンテの壁画が1106年頃,サン・ルシェーSaintLuzierが1117年,アーヘルAgerが1072年の作と考えられることと併せて,ペドレー・マスターの活動開始時期を11世紀末と考える(注28)。おわりにつかのロマネスク壁画と様式の上で比較されることをセミナーで発表した(注29)。今後,イタリア調査の進展が望まれるが,12世紀前半に隆盛を誇ったカタルーニャ・ロマネスク壁画の出発点を様式とイコノグラフィの両面から考える上で,当該作例は非常に興味深い対象となろう(注30)。府とカタルーニャ研究所Institutd'Estudis Catalansにより写真撮影,模写が始められ,1919-23年には,イタリア人修復家FrancoSteffanoniの指導下,剥離,移管の作業が進められた。ペドレーの壁画もこの時期にカタルーニャ美術館に移管された。修復経過については,Eldescubrimiento de la pintura mural romanico cata-たストラッポStrappoに関しては,EnaudF. : "Historique des deposes", La 1994年,ジャルサは,論文刊行に先立って,ペドレーが,ロンバルディア地方の幾lana. La colecci6n de reproducciones del MNAC, Barcelona, 1993. p.40. Barral i Altet, Xavier (dir.) : Prefigraci6 del Museu Nacional d'Art de Catalunya, Barcelona, 1992, pp. 45-91.を参照のこと。修復技法として採用されdepose des peintures murales, Actes du 4みn,seminaire internacional d'art -393-

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