鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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リアム・モリスに興味を持っていたことも大きいが,東京美術学校時代の先輩の南薫造,白滝幾之助,恩師の大沢教授らが先に留学していたことも関係していると思われる。ロンドン到着後は,大沢教授の指導に従い,研鑽を積んだ。この時,今回調査したスケッチ,即ちヴィクトリア・アンド・アルバート美術館の世界の工芸作品に感動し,毎日通って1点,2点と描いた300余枚のスケッチが誕生したのである。また,口ンドン市会立セントラルスクール・オブ・アーツ・アンド・クラフツのステンドグラス科にも入学し実際にステンドグラスの実技を学んだことも,これらのスケッチとともに,富本の工芸に対する思想の形成に影響を及ぱしていると考えられる。そしてイギリス留学中に,明治50年に開催予定の大博覧会にともない,その建築技師長に任命され回教の建築様式を調査にきた新家孝正工学博士と5ヶ月間,通訳と写真撮影をかねた助手としてインド旅行をしたことも,後の作陶に現れる更紗模様や細密な図案に反映されていると思われる。以上のように,富本の教養溢れる家庭環境ならびに教育過程,留学の経緯を概観してきたが,そこには富本が陶芸を志す以前の建築,室内装飾,それに伴う工芸に関する幅広い勉強の跡を見てとることができよう。催第3回美術展覧会に今回調査のスケッチを何点か選んで出品している。その後,このスケッチが纏まって出品された記録は不確かではあるが,最近では1991年に東京国立近代美術館で開催された「富本憲吉展」に出品されている。しかし,この時も全点収まっている峡とそこから出された数点が展示されたにすぎない。このように,このスケッチの全貌は未だに全てが明らかになっていないといってよいと思われる。それでは,具体的に今回の調査手順を示してみたいと思う。ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に日参して描いたスケッチは,今回調査した分は300余枚に上った。それらは,褐色の薄い紙に,ペン,鉛筆などで描かれており,水彩も施されているスケッチもあった。またこのスケッチは,すべて厚紙の台紙に一方だけが糊で貼り付けられている。しかし,紙が薄いのと,完全に固定されていないこともあり,取り扱いぱ澳重を期した。このような状態のなか,一次資料を直接扱って整理分析するのは作品に対し危険が伴うので,スケッチ全点を写真におさめた。写真はカラー撮影を行ったのであるが,薄褐色の紙に,薄い鉛筆などで,スケッチの説明やメモが書いてあったりしたため,1911年(明治44),2年と8ヶ月に渡る留学から帰国し,翌12年3月には美術新報主-399--

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