くかかって自身で彫りあげた香合を高価で買って,独りで楽しんでくれる人があるのを喜ぶ。しかし一つの私の図案から多数に造られた安い陶器を,多くの人の手に日常使用される日が来たらば,一層喜ばしいことと思う。」と記している。以上のようなことは,やはり富本留学時代の成果であり,今回調査したスケッチからも容易に想像がつき,留学から学んだ近代的工芸観を知ることができる。それでは,留学の成果がどのように展開されたか,少し長くなるが富本の言葉をいくつか拾ってみるものである。「すべての工芸が道具の時代から器械の時代に遷った。わが国では,陶器だけが曲がりなりにもいまだに小部分だけ道具時代を続けている。漆器はもうおそらく亡びる方に近いらしい。手織と機械織が殆んどすべての人に解らなくなった。陶器でもその時が近くはないか。欧州人にその眼がなくなったことは,まさに前車の覆りであらねばならぬ。下手ものが,美しさと一般的な陶器の最上の道をかすかながらも我らエ人に示しているように思える。たとえ陶器が器械全体になりきらねばならぬ時代がやって来ようとも。」(陶片集,エ政会出版部,昭和2年)「この大和の国の旧家に生まれた私は,幼年の頃より古き器物絵画を好み,幼いながらそれに陶酔の思いさえしばしばしていたものだ。もしもこの私がその陶酔の衣を今にまとうていたならどうあったろう,ただ好むにまかせて進んでいたらやはり古物かい集に没頭し,自己陶酔の満足のよろこびに日を送っていたことであろう。しかし,私は厳にそれを己に禁じ,創造されざる図案を造るべからずという考えを押し通して,困難なこの道一つに己をかけて進んできた。古いものを学べば学ぶほど鎧の如く身に固くとりついてくる殻を幾度剥ぎ落としたことだろう。古物も見て学ぶことは大いに必要である。また技術の修得は繰りかえし繰りかえし先行したものの真似を飽くなく続けることもいうをまたない。しかしその学習のうちに多くの工芸家が現代を忘れ,自分を忘れてゆくのがおそろしい。技の修得と創造精神の混同が,今日,作家の多くを堕落させたのではないか。明治以来現代日本の工芸教育の最大欠点もここにある。」(エ芸感想片片,吉田書房,昭和21年)「明治以来のわれわれ先輩諸氏は,欧米文明に接し,心からこれを学びとり,これをわが国の骨の上につけ加え肉としたいと望んでいたのではなかろうか。丁度奈良朝に唐の大陸文明をこの国にもってきて,それが天平の華麗荘厳な文明を一時に咲き誇らせたように。しかるに近時大正となり昭和となるに及んで,思いあがった人々の口や-403-
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