⑲ 日本における蘇試像の研究1 文献から知られる蘇拭像の史的展開1500-50年の増大は,実際にはその間に没した禅僧,天隠龍沢,蘭波景匝,万里集1550-1600年における停滞には,今回調べえた詩文集の少なさ(表1)が関係して研究者:東京国立博物館絵画室研究員救仁郷秀明はじめに蘇拭像に関する中世の状況は,五山の禅僧の語録・詩文集から,およそ年代を追っての把握が可能である。そこでここでは時代を中世に限って報告する。別表1は,今回調べ得た語録・詩文集の一覧表であり,別表2はそれらの文献にみられた蘇拭像の史料を,主として詩文作者の没年順にまとめたものである。ただこれらの文献から想定される量に比して,現存する作例は著しく乏しい。そこで基本的には文献に依拠して,蘇拭像の中世における展開の様相を大づかみにとらえてみる。1 -(1) 蘇拭像の量的展開蘇拭像に対して作られた賛や題詩に基づき,蘇車式像がどのように増加していったかを表わしたのが,別表3である。横軸は詩文作者の没年(西暦)である。縦軸は,その年までに何件の蘇拭像があったか(累積の件数)を示している。別表3をみると,1413年から1500年までの傾き(増加率)は,約0.7(件/年)であるが,1500年から1550年の増加率は大幅に増大して,約1となり,約1.4倍になっている。その後はかなり減り,1550年から1600年の増加率は0.4となり,約60%の減少である。九,琴叔景趣,景徐周麟,月舟寿桂,常庵龍崇,雪嶺永瑾,梅屋宗香の活躍期,すなわち15世紀半ばから16世紀半ばに起きた現象である。この背景には,応仁の乱を境に生じた禅林全体にわたる詩文偏重の傾向がある。またとくに15世紀以降における蘇詩講釈の流行,蘇拭詩文鑑賞の流行と関わっていることはもちろんである。いるかもしれない。それはまた全体としては五山文学,あるいは五山禅林そのものの衰退とも関連していると推測されるが,これらの文献からおおよその状況は把握できると考えられる。1-(2) 蘇載像の画題の展開-405-
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