2.蘇拭像の画題と典拠30種類を超える。別表5は,文献から確認できる画題の展開を年代順にたどろうとし(1421年以前),江西龍派の「東破淀穎図」がある。要な存在となってゆく。しかし作品件数から見ると陶淵明,杜甫らを圧倒するほどには増えていず,陶淵明,杜甫,蘇拭はほぼ同程度の比重を占めている。16世紀になると,蘇賦は他の文人を抑えてトップにつき,きわめて大きな比重を占めるに至っている。蘇賦に関わる画題は,現存作,文献(五山文学)双方から知られるものを合わせて,たものである。以下,ほぼ年代順に,画題の典拠と現存作例についての概要を記す(注6)。(1) 遊赤壁図いうまでもなく「赤壁賦」「後赤壁賦」にもとづく画題である。夢巌祖応の詩「題扇三首」の第三首は,赤壁図のことを詠んでいる可能性がある。そうだとすると,文献上では最も早い赤壁図の史料(1374年以前)となり,かつまた蘇拭関係の画題として最も早いものとなる。確実な文献としては,希世霊彦の「東波遊赤壁図」「波仙遊赤壁図」(1488年以前)が最も早い。実作例には,「後赤壁賦図扇面」(出光美術館扇面貼交屏風の内)がある。蘇絨が元祐5年(1090)杭州の西湖を浚渫し,堤を作ったとき,そこに芙蓉と楊柳も植えられ,その眺めは絵のように美しいとまでいわれた(墓誌銘,宋史本伝)。堤は蘇公堤と呼ばれ,六つの橋があった。文献では仲方円伊の「六橋姻雨図」(1413年以前)が最も早く,江西龍派の「蘇公長堤図」「蘇公堤図」,希世霊彦の「蘇公堤図」「湖上芙蓉楊柳図」がある。なお春屋妙絶の「西湖図」は,参考史料に留めておく。元祐6年(1091)の詩「i乏頴」にもとづく画題。文献では謙巌原i中の「域仙淀穎図」黄州流諦時代の住居,雪堂を描く図。蘇載に「雪堂記」がある。文献では西胤俊承の「雪堂図」(1422年以前)が最も早い。(5) 笠展図(2) 蘇公堤図(3) ?乏穎図(4) 雪堂図-408-
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