鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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し‘゜がある。図様は海棠の樹とこれを蠍燭で照らしながめる一群の人物を描いており,蘇詩の「海棠」にもとづいている。(9) 銭塘観潮図典拠としては,煕寧5年(1072)の「監試呈諸試官」「望海楼晩景五絶」「八月十七日復登望海楼,自和前篇,是日榜出,余与試官両人復留,五首」と,煕寧6年の「八月十五日看潮五絶」が考えられる。文献では郡庵全薙の「蘇公中秋観潮図」が最も早(10) 試院煎茶図煕寧5年の詩「試院煎茶」にもとづく画題。文献は江西龍派の「東破試院煎茶図」が最も早い。(11) 風水洞図煕寧6年(1073)の詩「往富陽新城,李節推先行三日,留風水洞見待」を典拠とする画題である。文献では心田清播の「風水洞図」(1447年以前)が最も早い。現存作例としては,南禅寺の扇面貼交屏風に月舟寿桂(1533没)賛の図,秀□印・集雲守藤(1621没)賛の図,無賛の図があり,他に伝狩野正信筆「風水洞詩意図」(福岡孝弟旧蔵),伝狩野松栄筆・笑闇賛「風水洞図扇面」(文化庁扇面画帖の内)がある。(12) 訪半山図半山は王安石のことである。元豊7年(1084)に蘇試は王安石を訪ね,詩「次荊公韻四絶」を詠んだことを典拠とする。文献では心田清播の「東破訪半山図」(1447年以前)がある。(13) 遊真如図元豊7年(1084)5月5日に真如寺を訪れ,詠んだ詩「端午濫真如,遅・遥・遠従,子由在酒局」を典拠とする画題である。文献に東沼周巖の「東披遊真如図」(1462年以前)がある。(14) 西園雅集図蘇拭をはじめとする著名な文人たちの集いを描く西園雅集の画題は遅くとも明時代には成立していた。文献では南江宋玩の「李龍眠元祐雅集図」(1463年以前)がある。作例には官南筆「飲中八仙・西園雅集図屏風」(茨城・正宗寺)がある。(15) 祥符寺観灯図煕寧6年(1073)の上元(正月十五日)に大中祥符寺における観灯を詠んだ詩「祥-410-

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