符寺九曲観灯」にもとづく画題。文献では瑞渓周鳳の「東披祥符観灯図」(1473年以前),三益永因の「東披祥符寺観灯図」がある。嘉祐4年(1059)に蘇拭は蘇洵,蘇轍とともに古跡,三涸洞に遊んだ。そのとき作られた詩「遊三濫洞」「遊洞之日,有亭吏乞詩,既為留三絶句於洞之石壁,明日至峡州,吏又至,意若未足,乃復以此詩授之」を典拠とする画題である。文献では瑞渓周鳳の「東波遊三溜洞図」(1473年以前)がある。元祐4年(1089)の詩「次韻王晋卿上元侍宴端門」,元祐8年(1093)の詩「上元侍飲楼上三首呈同列」「戯答王都尉伝柑」を典拠とする画題である。文献では瑞渓周鳳の詩「伝柑図」(1473年以前),九鼎竺重の「東破上元侍宴図」などがある。蘇拭は煕寧5年(1072)3月,杭州太守,沈公とともに吉祥寺に牡丹を見物した。その事が詳しく記される「牡丹記叙」ならびに詩「吉祥寺賞牡丹」が典拠である。文献では瑞渓周鳳の題詩「東被吉祥寺看花図」(1473年以前)がある。紹聖4年(1097)の詩「次韻子由浴罷」を典拠とする画題。文献では横川景三の詩「東披乾浴図」(1493年以前)と雪嶺永瑾の「東破乾浴図」かある。特定の典拠を定めることの難しい画題である。文献では正宗龍統の「東披戴笠騎纏図」(1498年以前)がある。これによれば,笠は着けるが展を履かず,駿馬に乗るという,笠展図と異なる図様であることが分かる。東披の戴笠騎騒を描いた可能性のある実作例としては,「東域騎墟図」(バーク・コレクション),「戴笠騎駿図扇面」(出光美術館扇面貼交屏風の内)などがある。宋史本伝にも「(元祐)二年兼侍読。…軟嘗鎖宿禁中,召入対便殿。宣仁后問曰,…已而命坐賜茶,徹御前金蓮燭送帰院」と記される有名な故事にもとづく画題である。文献では天隠龍沢の「東波賜金蓮燭帰翰林院図」(1500年以前)が最も早い。(16) 遊三瀞洞図(17) 上元侍宴図(18) 吉祥寺観花図(19) 三蘇像(肖像画の項を見よ)(20) 乾浴図(21) 戴笠騎騒図(22) 賜金蓮燭帰翰林院図(23) 詠龍興牡丹図-411--
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