鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
422/588

煕寧8年(1075)の詩「惜花」にもとづく画題。龍興は密州の龍興寺である。文献では蘭壊景匝の題詩「東波詠龍興牡丹図」(1501年以前)がある。(24) 次丹陽迎仏印元図文献では万里集九(1428-1501-)の題詩「次丹陽迎仏印元図」がある。丹陽の金山寺の僧,仏印了元(1032-98)との交遊を示す詩は「以玉帯施元長老,元以納拮相報,次韻二首」など,いくつかあるが,万里の詩の内容から特定の典拠を定めることは難しい。(25) 玉堂栽花図元祐2年(1087)の詩「玉堂栽花,周正襦有詩,次韻」にもとづく画題。文献では琴叔景趣の題詩「束被玉堂種花図」(1507年以前),景徐周麟の「東波玉堂栽花図主人字惟賢」がある。(26) 汲江煎茶図元符3年(1100)の詩「汲江煎茶」を典拠とする画題。文献では琴叔景趣の題詩「蘇仙汲江煎茶図」(1507年以前)が最も早い。罰白鶴峰遷居図蘇拭は紹聖4年(1097)に白鶴峰の新居に移った。その事に関する詩に「和陶移居二首井引」「遷居井引」「和陶時運四首井引」などがある。文献では琴叔景趣の「東披白鶴峰遷居図」(1507年以前)がある。(28) 月下理髪図紹聖2-3年頃の詩「六月十二日,酒醒歩月,理髪而寝」および「和子由次月中椋頭韻」を典拠とする画題である。景徐周麟の題詩「東波月下理髪図」(1518年以前)がある。(29) 講筵賜著図講筵は元祐2年(1087)に週英殿で行われた侍講であろうか。これに関しては詩「九月十五日,週英講論語,終篇,賜執政講読史官燕於東宮,…」がある。賜著については墓誌銘に「…(元祐四年)以龍図閣学士知杭州…公出郊未発,遣内侍賜龍茶銀合,用前執政恩例,所以慰労甚厚」とあるが,元祐2年の講筵と時期があわない。いまのところ典拠不詳である。文献では景徐周麟の題詩「子瞭講筵賜著図代亀公」がある。(30) 選英閣講論語図蘇拭は元祐2年9月に選英殿で論語を侍講し,詩「九月十五日,選英講論語,終篇,-412-

元のページ  ../index.html#422

このブックを見る