ァン出土品にも少なくない。それらはササン文様を踏襲しているが,ササン芸術の写実性から遠のいて抽象化傾向を強め,ササン風リボンを靡かせた動物の姿は幾何学的図形に化している(図4)。それはその地で日常的であったろうラグ作りの感覚を思わせ,事実,唐錦とは区別される織技上の特徴も指摘され(注11)'素地に毛織物の伝統を考えさせている。しかし武敏氏はこれを中国経錦と見てゆずらない。これは頗る問題で,少々乱暴でさえある。これに反論する中国人研究者もいるとのことだが,そうした人たちは彼女から遠ざかっているらしい。こちらも,今回,その場ではあえて異を唱えることはしなかった。武敏氏の自信は‘豊富な経験’を自負するところにあるが,彼女がみているのは,しかし断片的な出土品であって,ヨーロッパの大寺院やわが国に伝世しているような完形品をみていない。すなわちそこに問題があり,それゆえ彼女の持論に決定的な影響を与えるものとして,わが法隆寺の獅子狩文錦が考えられ,その閲覧のために来日を勧めている。ソグド錦と共に注目すべきはビザンティン錦である。これらはかつては‘東イラン'産と混合されていたが(注12),しかし注目すべきは7世紀から8世紀にかけて,日本製正倉院錦をも含めて,この緯錦技法が東西に普及する国際技法になったことであろう。すると1千年余にわたる経錦技法は,その世紀の終りごろに,廃絶してしまう。空引機で製作される緯錦の生産力の前に,もはや太刀打ち出来なくなってしまったからである。わが国上代染織考でも同様,この経錦から緯錦への移行の問題は避けて通れないものであるが,ただ一つの見解が提示されているに過ぎない。それも理論的とは言えない。それと言うのも大陸資料すなわち新彊資料の組織立った研究をいまだみていないからかも知れない。それゆえ,この度の共同研究を企て,踏み出したのであった。とは言うものの金銭問題が重たくのしかかってきた。このような場合に望まれることは,中国語が堪能で,中国側と充分に折衝が出来る人物を擁する研究組織の事業計画に組み込まれて,その一部として活動することであろう。そこで働きかけた。朗報が得られた。奈良のシルクロード学研究センターが3年間の事業計画として,本年を準備期間とし,来年の平成8年4月から現地調査を含めて,古代中国の絹問題の本格的調査研究に入る旨が表明されたのである(注13)。これによって対中国の困難な問題から逃れることが出来,研究者本来の計画を推進させることが出来るようになった。-34-
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