1)。しかし戒壇堂四天王との時期的差に大きな隔たりがあるとはいえない。たとえばて身体に密着させ,甲の緩みを防いでいる。下腹部にはこの表甲の上から前楯を腰帯によって留めている。前楯は三像とも同形式で上部を半楕円状,下部は先端をとがらせた,いわゆる剣尾形のものである。執金剛神の場合,前楯は像が腰をひねってやや左斜めを向くのにともない,腰帯より下は少し左にはね上がり,先端は表甲より遊離してやや反り返っており,執金剛神の前楯は最も動きが激しい。だが法華堂像のはほとんど変化がない。ところで,執金剛神と戒壇堂像は肉身の表現がきわめて写実的で,胸のふくらみや鎖骨の上部にはいくぶん窪みをあらわすといった甲に覆われた内部の筋附の凹凸の変化が表甲の上からそれとうかがい知れるように造形されている。加えて,腰部からウエストにかけての絞り込んだ表現のように,紐や腰帯によって締められる部分には的確な引き締まり具合をみせている。このように,執金剛神と戒壇堂像の甲は内部の身体の動きに忠実に,有機的に対応していることがわかる。こうした点はこれらの作者がなみなみならぬ手腕をもつもので,しかも誰にでもできるものではないから同時期の同一の作家によるものとすべきである。この二像は腰から脚部の姿勢の変化が正確に表現され,身体各部が有機的に連結している。ところが法華堂像は甲が厚く,体部の微妙な変化は窺い知ることができない。以上,造形表現の上からみると執金剛神・戒壇堂像と法華堂像はともに形式的に類似してはいるものの,執金剛神と戒壇堂像はさらに様式的にきわめて近い関係といえよう。すなわち,これまでも多くの先学か指摘するように執金剛神と戒壇堂像は同一系統の,しかもはぼ同時期のものといえる。ところで,執金剛神と戒壇堂四天王像の制作年代を同時期にしたが,これまでは執金剛神の方が戒壇院四天王よりも造形的に初発的であるといわれる場合が多かった(注法華堂の乾漆諸像は同一系統の作といわれているが,本蒻の不空絹索観音は写実表現を極め,作者の人体観察と形態賦与はきわめてすぐれている。それに対し,梵天・帝釈天等の乾漆像は天平彫刻特有の写実性と理想美を追求しているものの人体各部の有機的つながりに欠け,細部の表現はかなり大ぎっぱなものといえ,そこに制作時期の隔たりがあると言わざるを得ない。翻って執金剛神と戒壇堂四天王とを比較するとき同じ制作時期と考えられよう。また,小田誠太郎氏によれば東大寺の天平彫刻の文様の上からは,執金剛神と戒壇堂四天王が近似していることが指摘されており,しかも-434
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