4.むすびしかしこれまでもこれらの塑造の諸像を一具のものとして考えられることはあったが執金剛神を中尊とするものはほとんどなかったようである。たとえば内藤藤一郎氏はすでに法華堂の執金剛神と日光・月光(梵天・帝釈天)と戒壇堂四天王を一具と考え,これらを『金光明最勝王経』の護国思想に基づく造像と推測した(注7)。だがその本尊は,金鐘寺が大和国金光明寺となったことを根拠にして釈迦三尊を中諄とし,その背後に執金剛神を配したのであった。しかしながら金鐘寺が大和国金光明寺になり釈迦三尊像を造立したのかということはいまだ不明であり,史料中にはそれを見いだすことはできない。私は『日本霊異記』の記述から執金剛神が本尊として信仰されていた可能性を考えたいのである。さきの『金光明最勝王経』如意宝珠品の指摘は重要でこれら諸像の造立にかかわるものと思われるが,いま一度解釈を考えれば執金剛神を中心とした配置にすることが可能ではなかろうか。さきの田中豊蔵氏は,「観世音菩薩如意摩尼経に,この如意摩尼陀羅尼を誦すること十千遍なれば,聖者執金剛真身現前すると説かれる」としている。そして「察するところ観音は祈請の本体で,執金剛神は行者のために能満所願の実行者となるのではなかろうか。」と推測している。たしかに観音と執金剛神は不二の関係をもつことがある。たとえば先の『金光明最勝王経』の註釈である『金光明最勝王経疏』では如意宝珠品第十四の執金剛秘密主菩薩について「言執金剛秘密主者有云。観音異形梢為秘密。常執金剛杵守護三宝。」と注釈しており(注8)'また『妙法蓮華経玄賛』巻十末には「応執金剛神。有ー。手執金剛観音異像。」と注し(注9)'執金剛神と観音は同体に説かれることがあるのである。したがって天平当時いわゆる金鷲行者か『金光明最勝王経』から本尊像を造立するにあたって雑密の諸説からより効験カのつよい観音の異形たる執金剛神をとりあげ,『金光明最勝王経」の本腺としたことは大いに考え得ることであろう。以上,現在秘仏となっている執金剛神を中心として主に神将形の前後関係とその背景について考察してきた。執金剛神と戒壇堂の四天玉は造形的にきわめて近い関係にあるといえ,しかもそこには法華堂の伝日光・月光菩薩もそこに加わろう。そして『日本霊異記』の記述内容を考慮し,執金剛神を中尊とした構成が考えられるのではないのではなかろうか。-437-
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