鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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(注)以上に述べたように中国研究者とは著しい見解の相違があり,この調整には相当の時間を要するであろう。その不一致は,日本人研究者の間でも支配的なのだか,中国に機法の変化はなかったとする者とそれがあったとする者との間に生じてくる基本的な見解の相違である。緯錦製作のために空引機は生まれてきたのであって,経錦製作にあっては,なおその前段階的な装備の,しかしよく適応したものであったとする見解を支持する我々は,後者の立場をとっている。従って双方でこの是非を究める必要かあろう。この時,そのもっとも有効な方法が,コンピューター・グラフィックスによる解明であろうと考えている。古代織物の製織のメカニズムをそれで考えようとしている動きはすでに欧米にはあり,日本における作業の着手は焦眉のことのように思われている。この成果は,従来の我々の研究に居座っている‘古ぎの改善にも役立つであろう。しかし,コンピューターをメディアとする方法の確立は,日本ではいまだ試みられていない領域であるために,専門技術者の協力を必要とし,それに要する費用も考えられねばならない。今,検討中である。貴財団により今回ともかく日中共同研究の端緒が開かれたことに対して深く感謝を表明させて頂くと共に,今後に計画されるであろう未踏の分野へのささやかな挑戦のために,なお御支援のあることを願わずにおれない。(1) 武敏『織繍』199211 "An essay on the debut of the Chinese samit based on the study of Aatana textiles”『古代オリエント博物館紀要』Vol.121991,その他。* (2) 横張和子「アスターナ錦の編年と考察」『古代オリエント博物館紀要』Vol.8. 1986 (3) 湖北省荊州地区博物館『江陵馬山一号楚墓』1985.(4) R. Pfiser, ~ 3 vols 1934,'37,'40. (5) A. Stein, Innermost Asia, 1928. (6) V. Sy I wan, Investigation of silk from Edsen-gol and Lop-nor, 1949. (7) K. Riboud, "Further indication of changing techniques in figured silks of the Post-Han period", 1975. (8) H. Burnham, "Technical aspect of the warp-faced compound tabby of the -35-(1995. 5. 18)

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