鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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的な反応というべきだが,それも,同時期の「ミニアチュール」や「挿絵」への能動的な関心,「シンタグマ」的追究があればこその評価と考えられよう。実際,これらの文字絵作品は,横長で上下の二層構造という顕著な画面形式をとるか,それはミニアチュールという副題をもつ1916/13や,1916/14,1916/15にみられる形式を継承したものにほかならない。詩人WangSeng Yuについては,クレー研究においてあまり検討が加えられておらず,クレーの引用した詩も特定されていない(注5)。我が国の中国文学研究でもこの詩人はさして注日されていない。クレーが引用した詩人は南朝,梁の文人,王僧揺(465■522)である(注6)。画家が取りあげたもう1篇の詩か漢武帝(前157■87)の有名な「秋風の辞」であるのに対し,王僧揺は今日注目されることかない詩人で,その詩も紹介の機会に恵まれない。南朝の梁の時代は貴族文化が興隆し,大詩人こそ登場しなかったものの,多くの詩人を生んだ。王僧儒もそのひとりで,恋愛詩のアンソロジーとしてよく知られる『玉壷新詠』(545頃)に19篇の作品が収録されている。クレーが引用した詩は,そのひとつである。「秋閏怨詩」斜光隠西壁暮雀上南枝風来秋扇屏月出夜燈吹深心起百際遥涙非一垂徒労妾辛苦終言君不知ハイルマン編訳のこの詩集では,第三句までを省略して第四句から始めているが,訳は原詩に忠実な直訳である。「秋閏怨詩Die einsame Gattin」月出夜燈吹深心起百際遥涙非一垂Hoch und strahlend steht der Mond ; ich habe meine Lampe ausgeblasen, und tausend Gedanken erheben sich von meines Herzens Grunde. Meine Augen stromen Uber von Tr註nen.-447-(以上クレー1916/20)

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