注またがる想像力の拡張は,並列的跳躍的な連合(Assoziation),すなわちパラダイム(範列)的と名付けてよい。クレーはこうした空間のパラダイムを多用した画家にはかならない。この1916年の20から26の中国詩の作品群に1916/21としてチュニジアのカイルアンを題材とする作品が入ったのも,東方的空間への志向によるもので,偶然のこととは思われない。とりわけ,そうした東西という空間的パラダイムを明示しているのは,この作品群のいわばピリオドをなすように位置する3点の素描作品である。それは,1916/27,28, 29の3点で,目録にすべて「小風景」と記され,ペン,筆,インク,墨を用いる同じ技法で制作されている。明らかに中国や東洋を示す丘陵の楼閣・あずまやのような建物がみえる風景(27)[図3]につづき,かなり抽象的な素描(28),そして「イサクの犠牲」(『創世記』22)のある風景(29)となる。この3点は,1916年初頭の作品群がひとつの円環をなしているとすれば,その円環を象徴する,より小さい円環とみなしてよい。素描3点が同一の様式をもち,しかも他の作品と別個にひとつのまとまりをもつからである。大きな円環が西洋から東洋へと進行したとすれば,この小さな円環は抽象的フォルムをはさんで東洋から西洋へと逆方向に進行し,作品群の環を閉じている。クレー作品における空間的パラダイムは,たんにジャポニスムや東洋からの影響といった問題ではなく,この画家の絵画的想像力の本質にかかわる問題である。モニュメント的な造形を否定し,たえず想像力の多様性,造形の多様化を志向したクレーは,空間的パラダイムをつねに造形思考の根本においていたといえよう。この特性は,クレーの生涯にわたる作品に検証しうる問題だが,本稿では,このパラダイムが明示的に確認しうる最初期の作品群として1916年初頭の作品を考察した。本考察が不当でないとすれば,クレー作品を所蔵する世界の美術館で最も東方の美術館に,東西の空間パラダイムに関連する2点の作品が存在する事実は銘記しておかなくてはならない。年所収,を参照。(2) 美術館としてはほかにも開設準備中の美術館や私設的機関などに所在が確認しう(1) S. Frey, Paul Klee in Bern-Zur Geschichte der N achlassregelung und der Nachlassverwaltung von Lily Klee, der Klee-gesellschaft, der Paul-Klee-Stiftung und Felix Klee『パウル・クレー』クレー展図録,東京大丸美術館ほか,1995-449-
元のページ ../index.html#459