鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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つの共通するモデルの存在を感じさせる。特に,挿し絵画家,通称「マルグリット・ドルレアンの画家」か,先達の作品研究には熱心で多くを吸収する一方,新たな図像の創造においては寄与するところが少ない,と研究者に評価されている点を考慮すれば(注18),挿し絵画家が影響を受けた「ブシコー元師の画家」周辺にモデルを見い出すことも不可能ではないであろう。残念ながら,「ブシコー元師の画家」及び工房による挿し絵の中からは,良く似た例を見い出すには至っていない。然し,1390年以前の作品として,「ベリー公の小時疇書」中,ミースによって偽ジャクマールの手に帰せられた「説教する聖ベトロ」を参考として挙げたい(注19)。左側に立って右人差指をのばしながら,左手ではマントをかき寄せる聖ペトロの動作は,当七宝パネル中の聖ヨハネのそれに近い。更に,聴衆の寄り集まって座っている姿勢,後ろに垂れ下がりのある頭巾,全身をすっぽり覆う簡素な形の衣装などは,「マルグリット・ドルレアンの画家」の挿し絵よりも類似する。同一の主題は,偽ジャクマールの流派の画家によって1409年前後に制作された「ベリー公の大時蒻書」にも見える(注20)。ここでも,聖ペトロは左側に立って右人差指を聴衆に向けているが,左足を大きく一歩踏み出した姿勢やマントの裾や肩の辺りの翻りは一層,七宝で表された洗礼者ヨハネに近い。聴衆は,その属性を表す三角帽を被り,岩山の斜面に腰掛けているため,「ベリー公の小時繭書」中の空間構成と,七宝パネルのそれのいわば中間的様相を示しながら,群像表現としては却って違いか大きくなってしまっている。然し,例えば右端に描かれた,半ば背を向けた老人の背中から肘,更に腰へと流れる製の動きを,七宝作品の中の聴衆の衣装のそれに比較することも可能ではないだろうか。鋭く切り出した尖った頂の岩山は,「ブシコー元師の画家」の空間を構成する菫要な要素の一つである。これらのことを考慮すると,当七宝の下絵は,偽ジャクマールと「ブシコー元師の画家」の双方の作品の影響下に制作されたと考えて差し支えないであろう。七宝職人が既存の挿し絵等を目にして七宝パネルを制作したのか,別に下絵を制作した画家がいて,提供された下絵に基づいて制作したのか,制作の過程に関しては全く証拠は残されていない。然し,以上に見た七宝と挿し絵の相互の関係は,当七宝が挿し絵が描かれた写本と同一の顧客層のために制作されたと考えて間違いはないであろう。また,上記の写本挿し絵の制作年代の検討から,当七宝が1390年代から1420年-462-

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