鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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Bと略す。なお,両者を師子吼形Bグループと称することがある。),の三つの形式の⑬ 誕生仏の一形式について一一荊州大明寺伝優填王像に関する一つの記事をめぐって一研究者:東京大学大学院美術史学博士課程まず,叙述の便利を図り,基本的な概念規定を行う。東アジアの広域内で誕生仏という呼称を用いる時に,慎重な態度が必要である。そこで,当該呼称を次のように規定する。即ち,それは仏が生まれた直後の,①両手を垂らして竜王の潅水を受けるポーズ(潅水形と略す。図1)'②右手を,肘を曲げて肩口まで挙げて師子吼するポーズ(師子吼形Aと略す図2)。③右手を高く伸ばして師子吼するポーズ(師子吼形Bと略す。図3。同形式のバリエーションとして左手を伸ばすものもある。これを師子吼形総称である。従来の誕生仏研究(と言っても,殆ど日本でしか展開されていないようだが)は,遺品の関係上,正眼寺所蔵の誕生仏(図3)で代表される師子吼形B形式のグループに集中する感がある。潅水形と師子吼形Aについては決して多く語られているとは言えない。本報告書では,通常誕生仏と呼ばれているものの形式問題の一つとして,師子吼形A形式の像に絞り,荊州大明寺伝優填王像に関する一記事と関連して一つのアプローチを試みたい。ー.作品について右手を肩口まで挙げ,左手を体側に沿って垂下させるポーズの太子像は,古代インドに源があることは周知のとおりである。中国では早くから,この形式を取り入れた形跡があり,浮き彫りで確認できる最初の例は,北魏太安三年(457)銘を有する石碑像(図4)である。そこでは,樹下の摩耶夫人,本形式の太子と両手を下げる太子は三つのシーンに分けて表現され,この形式は師子吼の太子として認識されていたことか窺える。繹迦の誕生にまつわる伝説を,三つの段階に分けて認識したこと,師子吼形の太子を,その内の第二段階に属し,かつまた次の段階の潅水形太子への指向性をもつものとして位置付け,そして造形でもそのように表現したことなどは,中国人の繹迦牟尼誕生テーマに対する独特な読みによるものである。この独特な読み方は後の,例えば竜門古陽洞にある北魏末とされる仏伝浮き彫り(図5)に受け継がれ,しかも,漆紅-468-

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