鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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b a samit, samitumの名称で呼ぶのがよいのではないかと考えている。これらの錦では模参考図E.Guimet,Portraits d'Autinoeよりエジプト,アンチノエのコプト墓から出土したもの,装飾化した樹木文の下に動物を配する対称形の図柄のこの錦は(図一a),6世紀ササン朝ペシア産とされる。図一bはその組織拡大であるが,図3の法隆寺四騎獅子狩文錦や図4の鹿文錦のような国際化した厳密に言うところの“複様三枚綾緯錦”の表は同じアスペクトをもつ。それゆえにこの種の錦は,フランスの用語だが,今日,国際的に使われている“サミット”様の縦が,経糸の方向であるのが普通で,経糸を軸にして模様を屏風を開いたような対の形をとる。これは空引機の紋織装置の働き(屏風綜続)がもたらすもので,早い時期のササン朝サミットはこの装置の運用に熱中していたことが,その装飾から知られる。六朝経錦の模様が上下打ち返しであるのは,それを持ち前の伝統技術で模倣しようとしたからであろう。リヨン織物歴史博物館蔵-38 -

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