師子吼形太子の潅水形太子への指向性は強調され,もっともふさわしい形に表された。それは,師子吼形B形式の原型になる,片方の手を頭上まで高く指し伸ばす走行中の太子の姿である。この形式がいわゆる誕生仏の現存例の圧倒的多数を占めたことからの判断であり,この判断を裏付けるものの一つとしては,上述北魏人の師子吼形像観か上げられる。この頃の,右手を肩口まで挙げ,左手を体側に沿って垂下させるポーズ(師子吼形式の小金銅仏を寓目した。時代は後述の慶州博物館所蔵に接近していると思うが,これは非常に重大な問題点をもつ像なので,別の機会にまた論じたいと思う。)。今我々が確認できるものは,様式的に斬新な造形感覚を示している数点の作品である。韓国国立慶州博物館はその内の一点(図2)を所蔵している。このたび拝見したので,所見を述べておく。像高10.7センチ。反花式蓮台にたつ。頭上,左肩の一部を除くと,鍍金が全面的に残る。直立の姿だが硬直感がない。頭部は身体部及び手足と均衡よくとらえられ,7 世紀でもそう遅くない時期の作と思われる正眼寺所蔵像のように異常に強調されていないことが注目される。錆のため,全部確認できないが,こめかみのところの頭髪から見れば,素髪だと判断してよかろう。低い覆鉢状の肉髯は,北斉隋代の作品によく見かける様式である。後頭部にはほぞの折れた残存があり,頭光がつけられていたと思われる。顔面部には子供らしい額,鋭い線で刻み出された細長い目など,小さい誕生仏には6, 7世紀には,この師子吼形B形式の太子像が流行していたと思われる。その理由は,A)の太子像についてはあまりはっきりしない(今春の5月にあるところで,この形図5-470-
元のページ ../index.html#480