あまり見られない精彩がある。中心よりの目鼻立ちと口の配置には,子供の豊かな頬を見せる意識が看取できる。他の像で怠られがちな耳の細部表現もきちんとしている。胸部は,前掲正眼寺所蔵像のような円筒形でもなければ,下るが,750年代の作とされる東大寺像のような逆三角形でもない。他の誕生仏の胸部と腹部によく見られる幾何学的な構築性はここで見られない。胸よりも前後左右に膨らませた腹部のはうに量感があり,子供らしさを示す。しかし,側面から見ると,胸部の塊量感は決して抹殺されることなく,胸と腹部を繋げる輪郭線には明白な起伏感を感じさせる。右手は第一,二,三指を伸ばして肩の下方まで挙げ,左手は肘をやや後方へ湾曲しながら,指を揃えて体側に添える。両手の作りにも立体空間への十分な配慮が窺える。紐を腰布の表側に結ぶ様式は,ガンダーラの裸形様式と,例えば前掲東大寺像に見られたような,「ネ君」の意識の強い裏側結び様式との間の中間様式として理解され,正眼寺所蔵像にもその例をみることができる。腰布裾部の衣文は正眼寺像のパターンを踏襲しながらも,整理を加えた一歩後の様式を示す。肉付きのいい両足は内股に立ち,この点でも正眼寺所蔵像に通じる古様を示す。連華台の形態には,北斉風の金銅仏のそれと同じ意匠が見られ,豊かなボリューム感は十分に北斉様式を伝える一方,やや抑制された印象も受ける。この像の明白な特徴は,その均整の取れた身体各部の比例,豊かな肉体感の的確な表現にあるように思われる。レリーフ等に源を見た師子吼形B形式の像にありがちな痩身表現と比較してみると,両者の肉体感覚と肉体表現の技量の間の差が看取できる。本像は,中国の遺品による限り,北朝では北斉に開花した人体表現の環境の中でとらえてよい作品であるように思われる。総じて,6世紀末,7世紀初頭の様式を有し,伝播のことを考慮に入れてみれば,7世紀において位置付ける見方(注1)には賛同できよう。本像とよく似た韓半島の作品(図6参照)が何点か存在することは周知の通りである。ただここで強調したいのは,これらの作品は形式・様式上において接近度がかなり高いことである。これは,いわゆる誕生仏造像のこの種の形式の韓半島における流1'fの一面を示すものであると認識される。二.荊州大明寺伝優填王像について師子吼形A形式の太子像の,かなり古い時代に作られたと思われる中国の金銅仏が-471-
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