鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑭ 木版雲母刷料紙装飾について—東京芸術大学附属図書館所蔵「謡本百番本」一研究者:大和文華館学芸部貝中部義隆謡本百番本慶長年間(-五九六〜一六ー五)には,木版で雲母模様を刷り出した美麗な料紙が復興された。この木版雲母刷料紙の使用された冊子本は,一般に光悦本,嵯峨本と呼ばれる。図様に採用されたモチーフやその表現には,同時期に制作された宗達の描く金銀泥絵と共通する特色が認められることから,図様は宗達か描いたと伝えられている。宗達初期作品の研究において,注目すべき作品群である。宗達作品であるならば,慶長七年(一六0二)に制作された平家納経の表紙絵,見返絵と同じく最初期の作品となり,宗達研究に新たな展開をもたらす可能性がある。作者の問題をしばらく置くとしても,後の琳派の継承者たちは,木版雲母刷料紙の図様を作品に取り入れており,琳派芸術の源泉の一つであることは間違いない。しかしながら,現状では未だ不明瞭な点が多く,分析の対象になりうるほど作品が整理されていない。木版を用いる性質上,比較的長い期間にわたって制作され,復刻や模刻が行なわれていることも,状況をより複雑にしている。また,多くの作品が残されているにもかかわらず,制作年代の判明する基準作が極めて少ない。それでも,木版雲母刷料紙が使用された作品で,制作年代の下限が知られる二種の謡本が残されている。一つは国立能楽堂に所蔵される「謡本大原御幸」である。この謡本は観世身愛によって節付けが施され,奥書に慶長十一年(一六0五)の年紀がある。もう一つは,同じく身愛によって節付けされた六帖の謡本で,奥書に慶長十一年(一六0六)の年紀がある。この奥書から,後藤庄三郎に贈られた五十番組の六帖とわかり,「後藤本」と呼ばれる。六帖の内一帖が大和文華館に,他の五帖は個人に所蔵されている。以前に,「謡本大原御幸」と「後藤本」に使用された木版雲母刷料紙を調査した結果,十八種の図様が確認できた(注1)。これらの十八種の図様は,初期の木版雲母刷料紙の図様と考えられる。しかしながら,初期の木版雲母刷料紙を考察するには,七帖の謡本のみでは不十分であることは言うまでもない。そこで注目されるのが「謡本百番本」である。美麗な題箋をともなう「謡本百番本」は,光悦本の中でも,とりわけ高い評価を受けている。題箋には色替わりの具引を施し,金砂子を撒いた下地に,主に彩色の没骨法で四季の草花が描かれる。宗達の初期作品と様式上の共通点が多く,特に,東京国立博物館に所蔵される「桜山-481-

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