鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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34)では,蜻蛉の下方に流水が刷られている(挿図2)。この流水の図様も「後藤本]には見られない。しかも,蜻蛉の跳ねるような動きは,流水の抑揚と巧みに0乎応し,蜻蛉と流水には緊密な関係が認められる。蝶と雌日芝が組み合わされているように,本来,蜻蛉は流水と組み合わされた図様であったのだろう。図様自体が右に偏る構成であるため,早い時期に蜻蛉のみが独立して刷られるようになったと思われる。これらの三図様に関する限り,「後藤本」はどには,図様を刷り出す際に整理が行なわれておらず,より初発的な様相を示している。残る四図様は「後藤本」には用いられていない。「謡本百番本」の特色となる図様である。水辺山は報恩寺に所蔵される後陽成天皇筆「六字名号」に使用されている。後陽成天皇は元和三年(一六一七)に没するため,制作年代の下限が知られる。「六字名号」には蝶雌日芝も刷られており,同様に木版雲母刷料紙の初期の図様と考えられる。「謡本百番本]の木版雲母刷料紙を最も特色付けているのは,雷文蔓牡丹文,菱雷文蔓牡丹文,波濤龍丸文の三図様である。これらはいずれも連続する地模様に主模様が配された連続模様的図様である。「後藤本」では,楓や流水非などの散模様的図様は採用されているが,このような連続模様的図様挿図1藤挿図2蜻蛉流水-485-

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