⑮ 後期セザンヌ:現象学を超えて研究者:クーパー・ユニオン大学講師はじめに近代絵画史は,これまで一貰して,ポール・セザンヌの名に特殊な歴史的意味を与え続けてきた。印象派からキュビズムヘ,或いはフォーヴィズムヘと到る変遷の鍵となる画家がセザンヌであり,それはとりもなおさず,絵画が,再現的な性格を捨て,自律した「純粋な」芸術へと向かう発展の重要な道筋をセザンヌが決定づけたという意味でもある。そのようなフォーマリスティックな発展史の発端をどこに置くか(マネ?クールベ?)というのは,解釈者の視点によって差が出るが,いずれにしても,セザンヌが,そのような発展史の中で大きな役割を果たしたということについては,どの論者も意見の一致を見ている。こういった,「モダニスト」としてのセザンヌを,一つのステレオタイプとすれば,それと関わりながら,しかし,そのようなモダニズム的な見方にはおさまりきらないもう一つの,非常に流布したセザンヌ像がある。それは,一言で言えば,動態的視覚の画家としてのセザンヌ,という見方である。つまり,印象派までの静止した視覚(空間内の固定した視点から見られた像)を捨て,自らの身体が動くにつれ刻々と様相を変える世界を,そのまま画面上に捉えようとした画家がセザンヌであるという考え方である。この第二のセザンヌ像は,多様な論者によって,多様なレヴェルで論じられている。早い例では,1912年のメッツァンジェ,グレーズによる「キュビズムについて」の中にそのような見方が現れているが,以降も,クルト・バット,フリッツ・ノヴォトニー,マイヤー・シャピロ,ハーバート・リード,バーナード・ベレンソン等,多くのセザンヌ学者が同じような論を展開している。そして,このセザンヌの視覚の身体性という問題を,最も体系的に考究したのが,フランスの哲学者メルロ=ポンティーの二つの論文,「セザンヌの疑い」(1945)「眼と精神」(1964)である。彼にならって言えば,この第二のセザンヌ像は,第一の「モダニズム的」セザンヌ像に対して,「現象学的」セザンヌ像ということになろう。事実,これは今回の調査の成果の一つだが,現象学は,メルロ=ポンティーの二つの論文以前より,動態視覚の画家としてのセザンヌ像の背後に何度も見え隠れしている。バットの駆使する概念は,多くハイデッガーやヤスパースから借りたものであるし,リードは,早くからセザンヌの絵画上の試みとフッサールの哲学上の試みの平行関係林道郎-489-
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