鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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によって,最終的には有機的な総合を目指す関係として捉えられている。その事を精神分析的な見地から批判したのは,ジャン=フランソワ・リオタール(Discours,Figure) だが,彼のようにフロイトの理論を借りるまでもなく,現象学における「経験」と「表象」の関係では,セザンヌ自身が体験した困難を説明することはできない。彼が生涯追い求め,しかもついに到達することができなかった“realisation"の問題。その苦闘は,彼自身の手紙だけではなく,実作,ことに後期の多くの作品によって記録されている。サント=ヴィクトワール山などの同ーモティーフの絶えざる反復,或いは,多くの作品に見られる塗り残しの問題。セザンヌが,自作に対して常に不満を抱いていたことは,ベルナールをはじめ多くの関係者の記事にも証言があり,セザンヌにとって,自己の世界経験と絵画表象の関係は,従属的なものでも,弁証法的なものでもない,違和に満ちたものであったことを証している。セザンヌが,その消しがたい違和感を次第に意識するのは,晩年においてだが,それは,同時に,絵画表象は独自の内的な論理によって支配されているという認識を伴っている。そのことは,彼か,絵画は自然の模倣ではなく,それと「平行関係(parallele)」にあると手紙の中で明言していることでも明らかであるし,又,絵画は自然の“representa-tion”ではなく,“interpretation”であると言っていることも同じ認識のあらわれである。さらに,自然を「見る(voir)」のではなく,「読む(lire)」のだという表現の多用は,絵画を描くという行為がセザンヌにとって,単に知覚を記録するという作業ではなく,知覚を一旦解読して,絵画という言語に置き換えるという翻訳的な作業であったことを雄弁に物語っている。事実,このようなセザンヌ独特の語彙は,1977年のローレンス・ガウイングの論文ころを掘り下げた研究は未だない。それどころか,セザンヌのそのような絵画表象の内的論理に関する先鋭な意識は,これまで,絵画の美学的自律性を標榜する近代主義的な解釈によって単純化され,モダニズムの発展史の一挿話として消化されてきた。その先鞭をつけたのが,モーリス・ドニやエミール・ベルナールであり,定着させたのが,イギリスの批評家ロジャー・フライだと言える。そして,この近代主義的な解釈は,いまだに,通俗的なレヴェルではセザンヌ理解の核ともなっている。では,その近代主義的な解釈が見落としているものは何か,次に見てみよう。"Logic of Organized Sensations" (Cezanne: The Late Work, Museum of Mod-ernArt, NewYork, 1977)によって初めて体系的に指摘されたが,その示唆すると-492-

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