近代主義的解釈の系譜とその限界絵画におけるモダニズム(近代主義)がいつから始まったか,という問いに対する解答は様々になされようが,19世紀末から20世紀初,つまりセザンヌの画業の後期には既に,多くの画家達によって意識的に追求されていたことは間違いがない。その証拠としてよくあげられるのが,モーリス・ドニの有名な言葉「絵画とは,戦場の馬とか,裸婦とか,何らかの逸話である前に,本質的に,ある一定の秩序で集められた色彩によって覆われた平坦な面である。」であり,この言葉によって代表されているのは,絵画は,それ自体,独自の表現力を持つものであり,画家は,その純粋に絵画的な表現を追求すべきだという意識である。そのような意識を持った19世紀末の一連の画家達にとって,セザンヌは,まさに彼らが辿るべき方向を教示しているように見えたようである。ドニ自身,セザンヌに心酔し,彼に関する記事を発表しているし,また,エミール・ベルナールも,ドニと似たような立場からセザンヌ論を発表している。そして,20世紀初頭のセザンヌ理解にとって,この二人の記事が大きな影響を持ったことは,後に書かれる多くのセザンヌ論が,この二人の記事を参照していることを見れば明らかである。その中でもことに注目すべきなのは,イギリスの批評家ロジャー・フライで,彼は,ドニが1907年に発表した記事を翻訳してバーリントン・マガジン(1910)に発表したばかりでなく,近代主義の立場にたったセザンヌ観をその後も,精力的にプロモートした。現在,美術史において,セザンヌが印象派の自然主義を超えて,純粋絵画への道を開いたと言う解釈が一般通念になっているとすれば,それは,フライの力による所が非常に大きいと言っていいだろう。そのように一般通念にまで浸透したセザンヌ観は,それ自体間違いであるとは言えないが,一方,無視できない単純化を経た結論であることも確かである。何故なら,その近代主義的な解釈からは,先に私が指摘した,セザンヌ自身の中に抜きがた<在った,絵画という媒体への「違和感」か完全に抜け落ちてしまうからである。言いかえれば,絵画表現が独自の論理に従って成立している,という認識において近代主義はセザンヌ自身の認識を言い当てていると言えるが,しかし一方で,その絵画の自律性をセザンヌがどのように経験したかということに関する考察は全く欠落しているのである。だから,彼の手紙の中に繰り返し現れる,自己の不能性への絶望,絵画の論理の捉えがたさ,「実現(realisation)」の不可能性,という彼自身の主体に関わる難-493-
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