に内在する独自の論理と,自己と世界の原初的な関係を捉えようとする現象学的な欲望を和解させるという元から不可能なプロジェクトを追求したことから必然的に派生した作品群なのである。さらに言えば,絵画に内在する表象の論理をセザンヌに認識させることになったものこそ,彼の中に巣くった現象学的欲望であり,その強烈な「経験」への希求がなければ,頑強にそれへの帰属に抵抗する絵画独自の論理への認識も生まれえなかったと言っていい。つまり,セザンヌの捉えた絵画表象の自律性とは,つねに,画家の意識に帰属することへの抵抗と同義であったのであり,だからこそ,主体の危機を招く結果になったのである。ゆえに,これまでの調査の暫定的な結論として言えることは,現象学的なセザンヌ観と近代主義的なセザンヌ観は,まった<軌を違えた二つの解釈ではなく,実は,セザンヌの作画経験の中では,相補的な関係にあり,彼の主体の危機という問題を再考察することにより,その関連性は充分論証することができるという事である。今後の研究の方向としては,では,これまでに確認された二つの絵画の自律性に関する見解化されたそれ,もう一つは,セザンヌに見られる,意識による制御に抵抗する外部としての自律性されなかったのか,という問題である。それについて一つの示唆となるのが,画商カーンワイラーの証言である。彼は,「マラルメと絵画」というエッセイの中で,マラルメとセザンヌが,キュビスト達に,絵画が記号によって成り立っているということを発見させたと言っているが,そこに暗示されているのは,絵画の自律性という概念をよりラディカルにした,絵画が絵具やキャンバスという既製の物質から成り立っているという認識である。それは,マラルメが詩の世界において,やはり言葉を,社会的なレディー・メイドと捉えたことと相同であり,セザンヌは,絵具やキャンバスなど絵画を成立させる媒材が,超越的な美やイデアに適した純粋な素材であるどころか,最初から「物」として,つまり昇華不可能な現前として在るということを認識した(それが苦い認識であったとしても)という考えかたである。このマラルメとセザンヌの平行関係は,カーンワイラーの主観的な感想にとどまるものではなく,マラルメの薫陶を受けた何人かの批評家や画家達が,1905年から1907年にかけてセザンヌについて発表した記事を通じて,歴史的な接点を形成している。一つは,ドニ等によって敷術された自意識によって基礎づけられ,内面を受けて,それらがどのように歴史の中で継承されたのか,或いは-496-
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