鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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出来ている,さらに奉行衆の意向を覚書にして,六右衛門に渡し,さらに幕府の意向に沿うように国絵図制作に励んでいる。また萩藩や佐賀藩では絵師を実際に奉行衆のところへ連れていって絵師の描いた絵図を折々に奉行衆にお目にかけ基準通りに描かれているかどうかの意見を聞いている。鍋島藩や萩藩の国絵図を描いていたのは絵師であるがどのような絵師かは不明である。『一今度於二嘗地一遠江殿より内藤外記殿を以大道村沖嶋なと少宛之出入互之絵図引合無=相違一様二申談度とのことハリニ候ツる一連状二委如二申遣一遠江殿の絵図も我等誂絵師をたのミか力屯舟丸申候故令ニオ覚ー彼方之絵図を四郎兵衛二みせ悉書付合貼させ遣候(後略)』国絵図を作製するにあたっては互の隣国の境目を決めなければならず土佐藩では沖嶋や大道村を境とする宇和島藩との調整がとられ,相互に絵図を引合わせて境界の確認をとっている。この絵図制作にあたっては土佐藩は誂絵師と称する絵師に描かせている。宇和島藩では土佐藩で絵図を描いていた絵師にたのんで絵図制作を行っている。ここで記された誂絵師というのは国絵図制作にあたって特別に国絵図だけを描くのに雇った絵師と思われるが,この絵師が土佐藩独自で絵師をさがしたのか,あるいは幕府の斡旋により派遣されてきた絵師なのか不明である。「一国之絵図之儀井上筑後殿家来之者方より覚右衛門加兵衛方へ申越候ハ絵図書様心得たる絵師候間かかせ候へさように候は好候と能様二書せ可申候由就二申来_最前加藤治部令二持参_候下絵図を以可レ然候様書せ候へと覚右衛門加兵衛二申付候」いよいよ国絵図を幕府に提出せねばならない時に,幕府の国絵図の奉行である井上筑後守政重の家来より幕府に献上すべき清書した国絵図を制作するにあたり,絵図の書き方を心得た絵師に書かせれば,幕府の意向にそった絵図を書いてくれる。国元から持参した下絵図を以て献上すべき絵図を絵師に書かせればよいと柴田覚右衛門等に奉行から申し付けてきたのである。以上土佐藩の国絵図の制作の過程をみてきたが,絵師には下絵を描く絵師,土佐藩では誂絵師と清書する絵師の二種の仕事をする絵師の活躍が窺える。ここでは多分下ママ-500-

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