④ 中世後期の宗教絵画にみられる素朴様式の研究研究者:渋谷区立松濤美術館学芸員矢島近年参詣曼荼羅の研究が活況を呈しているが,参詣曼荼羅を歴史学的,あるいは民俗学的な考察の資料として扱う場合が多く,美術作品としての価値を美術史の文脈で捉えようとする研究は少なかったように思われる。美術史の文脈で作品を捉え直すということは,作品の持つ美術的価値を積極的に評価することと深く関わっているが,参詣曼荼羅をはじめとする中世末期の宗教絵画は,同時期の他の絵画作品に比して従来価値が低いとみなされるのが一般的であった。狩野派や土佐派などの正統的とされる画風と比べ,技術的に拙いことが誰の眼にも明らかであったからである。そして,そのような低い評価が,参詣曼荼羅を美術史研究俎の上にのせるのをためらわせたのである。しかし,お伽草子絵巻などの絵画表現について,“稚拙美”あるいは“素朴美”といった言葉を用いて積極的に評価しようとする気運が近年高まっている。そうした新しい視点から,参詣曼荼羅や宗教的主題を扱ったお伽草子絵巻などの,中世後期の宗教絵画作品の美的価値を捉え直せれば,というのが本研究のねらいである。上記の立場から考察を進めるに際しては,素朴美を持つと考える作品を,単なる下手の作品と区別しておくことが必要であろう。粗雑なだけの賦彩や初心の描き手の伸びやかさを欠く描線を素朴美として評価することはもちろん適当でない。素朴美を持つと認められる作品,例えばサントリー美術館蔵の奈良絵本「かるかや」が美術史家に評価されるのは,作画技術の拙さの故ではない。辻惟雄氏の言を借りれば(注1),「その稚拙なわりには臆病さをとどめない,滞りのない筆の運び」を作品が有しているからであろう。筆の運びに臆病さをとどめないということは,描き手のそうした絵本制作への習熟を示しているが,この習熟は,そうした稚拙な画風を受容する社会的素地があったこと,言い替えればそのような稚拙な作品の制作が伝統として続いていた,あるいは素朴様式と言うべきものが存在していたことを意味していよう。参詣曼荼羅についても,そのような意味で,素朴な様式の系譜が存在したと考えたい。参詣曼荼羅の源流を探る試みは先学によって既に様々な角度からなされているが(注2)'素朴な絵画様式の源流を探るという造形的な観点からの考察を以下に試みてみたい。新-42 -
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