鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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③ 中国絵画史(Historyof Chinese painting) 招致研究者:アルフリーダ・マーク(AlfredaMurck) 中国美術史研究家(元ニューヨーク,メトロポリタン美術館アジア部門,チーフ・キュレーター)報告者:跡見学園女子大学教授新藤武弘間:平成6年11月27日〜12月4日灌湘八景の研究を始めたのは何年も前のことで,私がプリンストン大学大学院の学生であった時,島田修二郎先生のもとでした。暖かいご指導をいただき,たいへんお世話になりましたが,残念なことに先生は今日は霊魂としてしかここにおられません。島田教授の1941年の論文「宋迪と灌湘八景」はいまなお宋迪の研究には欠かせぬ資料となっています。宋迪の事歴に関する以下の論議はさまざまな点で島田先生の研究を基にしています。灌湘八景は北宋の文人官僚,宋迪が創始した画題として親しまれて来ました。宋迪は,島田教授が立てた年代によりますと,彼は1051年に生まれ,1080年頃に死んでいます。沈括が1090年頃に最初に出版した『夢渓筆談』に掲載された八景の画題とその順番は以下の通りで,もとの順番はこのようであり,題名の続き方は律詩の構成に似せています。平沙雁落遠浦帆壁山市晴嵐江天暮雪洞庭秋月灌湘夜雨煙寺晩鐘漁村落照(アンダーラインは原文ママ)これまで私はこの一連の画題の本来の意味を探し求めながら,灌湘八景は特定の風景ではないといわれた島田教授の言葉を念頭において来ました。その本来の意味は,宋迪の生涯を分析することによって理解できると確信しています。まず最初に宋迪の官途に影響を及ぼした歴史的な事件や党派間の争いに関して述べたいと思います。ついで,はじめの三つの画題の原形となっている詩や灌湘を詠った詩の解釈についての所感を申します。そして,さらに1070年代におこった政争と宋迪および彼の友人たちの政界からの追放に対する返答として灌湘八景が生まれたことを結論としたいと思います。期-514-

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