鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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それは時世を論じ,為政者を戒める手段でした。問題はいかに咎を受けることなしに意を伝えるかにありました。十二世紀の士大夫の一人は次のように述べています「詩には婉曲な忠言の意味がある。しからばこそ咎なしに意が伝わり,十分に聞き手を戒め,益するものがある。しかし,もし忠告が批判となり,中傷となると,聞き手は立腹し,誰をも益さなくなる」楊時(1053■1135)/trans.Charles Hartman, "Poetry 常に危険になりました。士大夫たちは,絵画で意志を表明すれば,言わんとすることか不明瞭となり,皇帝を諫めることはそれほど出米なくなることを知っていました。しかし一方では,絵画によって批判することは詩に比べてはるかに安全でした。絵画は非常に婉曲なやり方で意志を伝えることができます。宋迪のために書いた詩で,蘇拭は江市人家少江市人家は少(まれ)に煙村古木摺煙村古木は擢(あつま)る知君有幽意知る君に幽意(ゆうい)有るを細細為尋看細々(さいさい)と為に尋ね看ると詠っています。蘇拭は宋迪に山水を詠じた以上の深い意味があることを仄めかしています。絵画にはそれを注意深く観照してはじめて発見できる意味が秘められているのです。滴湘の詩人と杜甫の重要性宋迪が灌湘八景に彼の思想を表明したかも知れないことを論ずる前に,灌湘について詩文を書いた何人かの人々について述べたいと思います。宋迪と彼の交友たちは,楚の忠臣屈原(343■277B.C.)や,前漢の官僚買誼(201■168主義の詩人柳宗元(773■819)や,文豪の韓愈(768■834)の作品に親しみ,文学界の最大の貢献者として尊敬していました。これらの人々の多くは滴湘へ左遷される憂き目に遇い,わずかな例外を除けば彼らの詩文にその流鏑の道中の光景を詠じています。未開の土地は人々が粗野であり,風習は見慣れぬもので,気候は冬には凍え,夏は擦気を伴って恐ろしく暑く,最も辛い(灌湘晩景図三首より)and Politics in 1079 : The Crow Terrace Poetry Case of Su Shih," CLEAR 12 (December 1990) : 42. 1070年代の終わりに,蘇拭の裁判が行なわれ,時事問題について詩を書くことは非B.C.)や,盛唐の詩人李白(701■762)や,やや年少の杜甫(712■770),中唐の復古-519-

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