遠浦帰帆「帰」の語はしばしば陶淵明の有名な詩<帰去来辞>に詠われたように帰省ないし帰宅を意味します。唐代の詩人王維は「帰」の語の心理的な面を強調しています。スティーヴン・オーエンは,王維詩の秀作のいくつかを特徴づけている世を棄て純粋な状態に復帰することであると述べています。基本的な自然の状態に帰ることは,「貧困ばかりでなく,危険と欲求不満と恥辱に満ちた都市の華美な生活の世界」から逃れることを意味しています。しかし,洛陽に左遷された士大夫たちの情況は,復帰に別の意味を与えました。1070年代には彼らは世を棄てて隠遁したのでなく,朝廷への復帰を熱望していました。党争によって権力の中枢から離されたのですから,いかにして以前の身分を回復するかを思い続けていました。復帰は流鏑の詩の中心的主題でした。蘇拭が流鏑された間に作った詩では,しばしば左遷と復帰が一緒に詠われています。杜甫の晩年の詩では,復帰の念にとり憑かれています。彼は夢の中でもそれを忘れることはできませんでした。長安に帰ることを夢みる詩では,<招魂>の詩句を裏返して,「自分を喚び戻すことを誰も妨げないでくれ」と哀願しています。彼はく招魂>に詠われる魂に問いかける祈りの言葉を使って,「おお,魂よ帰り給え,我はもはや南に住むことはできぬ」と詠っています。最晩年の杜甫は,彼と家族が漢湘を離れ,舟で長安に帰ることを繰返し望んでいます。770年の春,杜甫の一家は渾州(長沙)に落ち着きました。宋迪の遠浦帰帆は,おそらくその年の秋に杜甫が書いた詩を踏まえているのでしょう。<登舟将適漢陽(舟に登り将に漢陽に適(ゆ)かんとす)>で,杜甫の感情は将来への期待と不安が混ざり合っていました。彼は一年半住んだ家に別れを告げて帆船を急がせていますー一春宅棄汝去春宅を棄て汝(=我)は去り秋帆催客錨秋帆を催し客(=我)は饉る庭裁尚在眼庭の裁(そ)はなお眼(まなこ)に在り浦浪已吹衣連浪(ほろう)已(すで)に衣を吹く生理瓢蕩拙生理瓢蕩するに拙(つたな)< 有心遅暮違有心遅暮(ちぼ)と違(まが)う中原戎馬盛中原に戎馬(じゅうば)盛んにして遠道素書稀遠道(えんどう)素書は稀なり塞雁輿時集塞雁(さいがん)は時と与(とも)に集り-523-
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