以って画に入るる可し」と評しています。しかし,この詩の第四節に政治的な内容がなかったならば,宋迪を惹きつけることはなかったかも知れません。私はここで政治的隠喩と歴史的な比喩によって厚みをもった対句を紹介したいと思います。この主題を要略するだけですが,それは宋迪の時代の多くの問題に驚くほど似ています。杜甫は騒然とした彼の時代を悲しみ,吐蕃(チベット)や流賊を撃退できない軍隊の弱体を嘆きます。彼は朝廷に腐敗があることを「旧物森猶在,凶徒悪未悛(旧物は森(しん)として猶(な)お在り,凶徒の悪未だ悛(あらた)めず」と仄めかし,そして頼るべき皇帝が間違った人々に権力を与えていることを残念がっています。杜甫は{妄臣に抗して君子を登用した過去の為政者を褒め称えています。している点は避けられないことでした。杜甫は彼の時代の人たちを名指さずに褒めたり貶したりしていますが,洛陽に蟄居する士人にとって彼らの時代の褒貶すべき代わりの人物はいくらでも見つかりました。たとえば,杜甫は宮廷にいるイ妄臣を唾棄して「奴僕何知礼(奴僕,何ぞ礼を知らん)」と言っていますが,この言葉は王安石が神宗に偽って新法を実行するために能力に欠ける人間を採用したことに対して1日法党側から再び出された抗議の言葉でもあります。杜甫のく秋日蔓府詠懐>の中に,宋迪は,王安石や小人後継者察確にも向けることができる批判を見出しています。山市晴嵐は杜甫のく秋日菱府詠懐>を参考にし,灌湘八景のうちで最も直戟な政治的発言を帯び,おそらく最も刺激的なものでしょう。この長詩は,さまぎまな問題を扱いながら,二百行を超す詩句に破綻なくまとめ上げている点で排律の傑作とされています。杜甫の論点のひとつは,仏教を学んで現世を否定し,開悟を求めるべきか否かの問題です。国事に余りにも深い関心があった杜甫は,自分にはそれはできないと判断しますが,しかし,のちの宋迪の八景において「煙寺晩鐘」が含まれる点を予告しています。杜甫の詩を念頭において,現存する山市晴嵐図を見ましょう。これはプリンストン大学美術館の王洪の作品です。画題の「山市晴嵐」は,川に関しては船着場や岸に近づいて来る舟はもとより何も言っていませんが,にもかかわらず,そうしたモチーフはこの画題のほとんどの作品に描かれています。この発想は杜甫のく秋日蔓府詠懐>の風景描写から来ているのではないでしょうか。杜甫の詩句のひとっ,「市賢濃西顕(市笠(しぎ)はi襄西(じょうせい)の嶺(いただき)に近く)」について杜甫は原注に「峡1070年代後半に洛陽に左遷された学者たちにとって,彼ら自身の政治的危機と並行-525-
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