鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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6.ニコラウス・クザーヌスの思想と中世末期美術の人工性5.人工的な抽象形態と対象描写との緊張が,美的な面を犠牲にしてまで描かれている例が見られる。ここでは絵画に対置される美術としての彫刻の,その技法的特性までも忠実に描写することによって,描写手段としての絵画技術の彫刻に対する優位が物語られるのである。中世末期美術に見られる人工性は,単に美術の技法的側面が強調されるというだけではなく,対象描写と抽象形態との相互浸透という面からも窺われる。マイスターE.s.の銅版画「形象アルファベット」では,人物や動物が組み合わされてアルファベットを形作っているが,ここでは対象の有機的な形態が文字の抽象的な形態にはめ込まれているのである。またエラスムス・グラッサーの彫刻「ムーア人のダンス」では,踊る人物の所作や身体の旋回が不自然なまでに誇張されているが,この例では舞踏の動作を描写するというより,たとえば当時のカリグラフィーに通じる抽象形が碁本となり,これに人物の運動をはめ込んでいったと推定されるのである。このように人工性は15世紀末から16世紀初期の美術の基本的な要素となっているが,当時の美術理論にはこの点に直接触れた文献が見られない。しかしこの問題は15世紀の哲学・神学者ニコラウス・クザーヌスの著作に,より基礎的な認識論の枠内で言及されている。クザーヌスは,人工形態の創作を模倣芸術の上に位置づけるプラトンのイデア論的な芸術論を,画家や彫刻家を匙彫りと対置し,比喩的に開陳している。講演では,この時代の美術一般の根底に,こうした人工性によって単なる自然模倣を凌駕しようとする傾向が見られ,この傾向こそが中世から近代に向かう美術の変遷に対するアルプス以北地方の重要な貢献であると結論づけている。ケルナー教授の論考は,16世紀の初頭に見られる木版画の重要な様式変遷を単に木版画史の枠内で捉えるのではなく,彫刻,絵画,建築の一般的な動向の中で観察し,この時代の美術史一般の運動にその根拠を求めている。木版画の彩色の放棄,無彩色木彫の登場,グリザイユ絵画の出現といった現象は,それぞれの分野で重要な問題で-536-

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