鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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補陀落寺(諸本の中には斜め描写の作例もある)と五重塔だけは正面からの描写である。社殿を正面から描かず斜めから描くのは,神道絵画の特徴である極力神の姿を描こうとしない態度に通ずるとも考えられる。一方仏堂に関しては,特に画面中央付近に配される中心的な堂宇と,五重塔や多宝塔などの仏塔がほとんど正面観で描かれるのが注意される。斜側面描写の塔が見られるのは,(I)に分類される重文指定本富士参詣曼荼羅と粉河寺参詣曼荼羅の他には,千光寺参詣曼荼羅と須磨寺参詣曼荼羅の二例を挙げうるのみであり,この二例については後に検討を加える。複数の建築物を描いて大きな景観を表現しようとする大画面の作例では,描き手は奥行きある空間の表現が求められるが,正面描写によって対象建築物とその周囲に奥行きを表現することは至難である(これは人物画の場合も同様であり,例えば景観の中に複数の人物を配する羅漢図などでは,人物は多くの場合斜側面から描かれる)。個々の建築物は正面観で描く方が容易であり,幼児の描く家はほとんど正面観であるが,景観の中に正面観という選ばれた特殊なアングルの建築物を混在させると,画面に奥行きを付与するのは困難になる。参詣曼荼羅の画面には奥行きがほとんど感じられず,それが稚拙な印象につながっているが,これには正面描写の建築物の混在か大きく関わっている。また,分類(N)はとりわけ稚拙な印象を強く受ける作品群である。例えば県指定の富士参詣曼荼羅を(I)に分類した重文指定本と比べるとき,同じ主題を描いて,同様に初期的な作例と見なされているにも関わらず,両者の印象にはかなりの隔たりかある。重文指定本の建築物は概ね合理的な描写であるが,県指定本では,正面観と斜側面観の混在に加え,個々のモチーフについても,全体は正面観で描きながら,屋様は斜めから描くといった不合理で稚拙な描写が散見されるのである。分類(N)の特徴であるこの不合理な建築物の描写は,同時期のお伽草子絵巻にも頻出し(注3)'この時代の素朴様式の一つの指標となるものであるが,多くの論者によって参詣曼荼羅の源流と考えられている宮曼荼羅には,そのような稚拙な描写をみかけることがない。このことは,重文指定本に描かれている本地仏が,県指定本には描かれていないこととも関係しているように思われる。従来の研究では,参詣曼荼羅の源流として宮曼荼羅,社寺縁起絵,古絵図の三者が2.宮曼荼羅と社寺縁起絵の検討-45-

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