私は水に屈みこむ。ああ!残念なことに私の袖は濡れ,そして花を採ることもできなかった。(春ごとに流るる川を花とみて,折らぬや水に袖や濡れなむ)面に再録されている。記者はAlexandreGeorget) (2) 1877年の岡倉天心のパリ訪問の実態について本件は,1877年の岡倉天心のパリ訪問に関し,小山正太郎の談話(「仏国のフィガロ新聞は,フェノロサがパリ滞在中,雑報に記していふには日本人は可笑な事をする,自国の美術を知らぬ外国人を,自国の美術調査の為めに海外に派遣してゐると冷笑したので……」)およびやはり小山家に残されている同記事の抜粋という翻訳文にもとづき,引用されているフィガロ紙の原文記事を確認することが目的であったが,該当する日付の周辺にはこの翻訳文に当たる部分は見付けることができなかった。同翻訳文中には「ルーヴル美術館を慌ただしく通りすぎた」という趣旨の箇所があり,欧州視察旅行の結果,天心はフェノロサと同様に西洋美術は日本美術に及ばないと確認した,といわれることの一つの根拠としてしばしば引用されるものであるが,今回の調査の結果,原文は発見できず,同記事の出典については疑問が残る。(3) 1900年パリ万博における黒田清輝の<智感情>の反響について平成6年度美術史学会東支部大会(平成6年11月20日,於学習院大学)における発表「黒田清輝の岡倉天心像ー<智感情>の成立と主題をめぐって一」を参照。(4) 省略黒田清輝に関しては従来知られていたHobbemaおよびMetsuの模写については,ルーヴル美術館資料室の「模写許可証原簿」によりこれを確認し,さらに今回,新たにレンブラントのく瞑想する哲学者>の模写も行っていたことを発見。その他,久米桂一郎,岡田三郎助,鹿木孟郎,和田英作,山下新太郎の各画家についても,模写作品を確認および発見。なお,上記資料調査結果の詳細内容に関しては,既発表の他,明治美術学会等におアレクサンドル・ジョルジェ(L'Echo de Paris (5 /21) 3面,この記事は一部削除の上,LeReveil (5 /22) 1 (5) ルーヴル美術館における日本人画家の模写の実態(1882-1920)について-542-
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