鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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せいか③ 1994年度敦煙学国際学術検討会(敦燻研究院成立五十周年記念)は11世紀前半,西夏(異民族)の来襲を前にして,莫高窟第16窟の通廊脇に存した小1987年,1990年と相ついで国際会議が行われたが,今回のそれは創立五十周年を記念期出席者:東京大学名誉教授秋山光和間:平成6年8月9日〜8月14日1)会議の概要と意義中国甘粛省の西北端,中央アジアとの接点に位置する敦燻が,「東西文明の十字路」として文化史上に果たした役割については改めていうまでもあるまい。中でも私の専門とする美術,特に絵画に関しては,敦煙が東洋の古代中世絵画史上に占める重要性は次の両面から考えられる。第1は敦焼(古くは沙州)の城市近傍に造営された数ヶ所の石窟寺院群の内部を荘厳する壁画であり,規模の最も大きい莫高窟(総称)では現存の窟寺だけも5世紀から13世紀に亘る480余窟を数え,壁画の総面積を上下5m幅に換算すれば延長25kmに及ぶとされる。第2はこの地の工房で製作され18大寺と記録される城市内外の寺院で使用されていた仏教絵画(絹・麻・紙絵)であるが,これら石窟(蔵経洞)内に,多量の経巻や典籍・文書と共に運び込まれ,入口を壁で塗り籠めて秘匿されたまま900年が経過した。それが今世紀初頭(1900年頃)ここに住む王道士により偶然発見されたものの,1907年に到着したスタイン,翌08年調査のペリオによって,大部分が搬出され,現在大英博物館,ギメ美術館,フランス国立図書館,インド国立博物館などに所蔵されている。その総数は北京・エルミタージュを含め経典・文書約4万点,絵画も800点余と推定され,鮮麗な色彩を留める絵画中には8世紀に遡るものすら認められる。こうした稀有のタイム・カプセル,敦煙資料に基づく歴史,文学,美術の研究,いわゆる「敦煙学」は,まず欧米諸国や日本を中心に進展したが,やがて中国自身の先駆的な学者,芸術家が困難を凌いで現地に定住し,1942年「敦燦芸術研究所」を開設した。さらに中国解放後の1950年には「敦煽文物研究所」と改称され,国家の全面的な支援を得て,石窟の修理保存に壁画の模写,美術・考古学的研究が開始され,着々と成果を収めた。やがて1984年には「敦煙研究院」に昇格,一層規模や設備が拡大され,現在120人余の人員を擁している。特に石窟の科学的保存法や出版・研究については近来国際協力の方針が推進され,-556-

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