太子絵伝である東京国立博物館本(秦致貞筆)では,奥行きを示す斜線はいずれも右上がりに統一されており,画面全体として景観の統ーが保たれている。このような斜線の方向を統一した大画面構成は以後の高野山水屏風などに受け継がれていくが,鎌倉時代以降さかんに制作された太子絵伝や各種の高僧伝になると,右上がりと左上がりの斜線が混在し,画面に統一感のないものがほとんどとなっている。また,部分を集積するタイプの杜寺縁起絵の中には,正面描写の建築物を描く注目すべき作例がある。まず,浄土真宗系寺院を中心に数例が残る善光寺如来絵伝について見ると,鎌倉末に遡る妙源寺三幅本や本証寺四幅本などは部分の集合タイプの典型であって,この二例では建築物は全て斜めからの描写であり,塔も斜めから描かれている。ところが中央幅に善光寺如来を大きく描き出す根津美術館三幅本では,この如来像の下部に描かれた善光寺の塔と伽藍全体が正面からの描写である。この善光寺の伽藍は縁起の帰結を示す重要な部分であり,上部に描かれた如米像とともに礼拝の対象となりうる図像であるが,三幅の中でこの部分だけに正面描写の建築物が描かれているのである。また,以上の三者よりやや制作年が下がると考えられている満性寺四幅本も,根津本と同様最終第四幅最上部の善光寺の塔と伽藍全体がやはり正面からの揺写である。さらに個人蔵の三幅本になると,奥行きを示す斜線に右上がりと左上がりが混在するのはもちろん,それぞれの斜線の角度が一定でなく,不統一がはなはだしい。個々のモチーフの描法自体もきわめて稚拙であり,塔も正面からの描写である。この作例は素朴様式という点でまさに参詣曼荼羅に先行するものと思われる。また,志度寺縁起も興味深い作例である。現存する六幅はそれぞれ空間構成に違いかあり,第一幅などでは統一的な景観が保持されているが,第三,四,五幅は部分の集合と言う方が近く,やはり志度寺本堂のような重要な仏殿に限って正面描写が用いられている。塔については第四幅では斜側面描写であるが,第五幅ではやはり正面からの描写である。次に画幅全体が統一的景観を示す社寺縁起絵として,観興寺縁起絵,琴弾宮縁起絵,浦島明神縁起絵,玉垂宮縁起絵等を挙げることができる。これらの作例は基本的には斜側面描写で統一されており,画面構成に稚拙なところは少ないが,やはり部分的に正面描写の混在が見られる。すなわち鎌倉期の観興寺縁起絵では第二幅の仁王門が正面描写であり,その前に延びる参道を中心として左右対称に構成しようとする意図が見える。この中心線の意識を持った構成は,先述の分類(II)の参詣曼荼羅に通ずる-47-
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