関連して一言述べよう。金氏の発表は,韓国の近代化に於ける,また日本の朝鮮統治時代に於ける韓国の美術教育を扱ったものである。その考察を通し,韓国の近代美術教育に日本の美術教育が結果的にいささかなりとも寄与し,韓国の美術教育の素地が作られたことが明らかにされた。思えば,植民地支配や占領もまた一種の文化交流ではある。もとより,日本の過去の営為を肯定するものではない。そこで行われたのは平等な文化の交流ではなく,政治や軍事等に先導され,韓国の文化の存立に関わる程に抑圧的統治が行われ,韓国は文化を奪われるという悲惨な体験をした。第2次大戦を甫とする戦争を反省し,未来の平和を希求する広島では,この点はとりわけ銘記しなければならない。しかしまた金氏の研究発表によって,文化の面では,こうした不幸な形を通してであるにせよ,文化の種子が播かれたことが明らかにされたことは,心に留めておいてよい。しかも,そうした研究が韓国の留学生によってなしとげられたことの意義は,学術面での貢献はもとより,それを越えた側面でも,注目に値しよう。思えば,嶋屋氏が扱った萩焼は高麗焼とも称され,朝鮮出兵を契機にわが国に齋されたものであった。その場合には,文人・陶エが半島からわが国に連れてこられたのであるが,そのような人の移住という形態は,現代でこそ交通革命によって,比較的簡単になしえるのであるが,実は,古代からの文化伝播の基本的形態の一つであった。以上の事実に我々は改めて想いをいたし,文化交流が平和裡に成される時代の到来を念願したのであった。-566-
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