鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑤ 日本におけるカンディンスキーの受容に関する研究—戦前期を中心に1910年代30日『読売新聞』掲載の木下杢太郎による「元素的一概念的」がそれである。光風会研究者:北海道立帯広美術館学芸貝佐藤幸宏抽象絵画の創始者の一人ヴァシリー・カンディンスキーが,20世紀美術の展開に与えた多大な影響についてはよく知られている。近年,日本でも大正期の新興芸術運動をはじめとする前衛美術の展開に影響を及ほ‘した西欧近代美術の受容について関心が高まり,カンディンスキーについても研究が進みつつある。この画家の作品や芸術論が,ヨーロッパに遅れることなく極めて早くから日本に紹介されていた事実を考えると,造形芸術のみならず美術批評など多方面への影響が考えられる。受容の問題を論ずる場合,まずその作品や芸術論がどのように移入紹介されたのか,次にそれがどのように受け入れられ,いかなる影響を及ぼしたのかという二つの側面から検討する必要があろう。この度研究助成を受けた本研究では,まず受容問題解明の基礎的研究として,カンディンスキーの作品や芸術論の移入紹介の歴史を戦前期を中心に調査した。以下はその概要である。日本でカンディンスキーの名が初めて活字で登場するのは1912年である。同年6月展評であるこの文章で杢太郎は,中沢弘光の作品に対象描写に従属しない色彩や筆触自体の純造形的価値を認める新しい傾向を指摘し,それがヨーロッパ近代美術,とりわけセザンヌ,ゴッホ,マティスの絵やカンディンスキーの画論に窺うことができると述べた。杢太郎は,同年11月第6回文展洋画評として書かれた「後ろの世界」(『美術新報』12巻1号)でもカンディンスキーに言及したが,これらはいずれも断片的なものにとどまっている。より詳しい紹介が行われるのは,翌12月石井柏亭が『早稲田文学』85号に発表した「フォーヴィズムとアンチ,ナチュラリズム」である。この文章は海外の新しい美術思潮の紹介に重点が置かれているが,同時に1912年10月に開かれたヒュウザン会展の作品をその模倣と指摘し,当時極めて大胆な作品を示した同会に批判を加えたものであった。柏亭はヨーロッパの新傾向の美術にも否定的で,パリのアンデパンダン展で見たカンディンスキーの作品についても「彼れ〔カンディンスキー〕は非自然主義の-52 -

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