純然たる模様となり,形と色とが単なる象徴となり了ることを戒め,またそれが生と何等の由縁なき空想的夢幻界を造るの危険を説いて居ると云ふが,之等の危険を早く既に彼自身の作中に兆して居るのではないかを疑ひたくなる」と冷淡である。しかしなから,カンディンスキーの著書が出版されて1年に満たない内にそれを紹介し,「人性自然の内部生命を表現せんとする美術が色彩の外面的コンヴェンションから離るゞのは自然の勢である」と抽象絵画の本質に触れている点は重要である。の芸術論を紹介した。4月から8月にかけて『美術新報』に掲載された「洋画に於ける非自然主義的傾向」がそれである。ここでヒュウザン会の絵画が「青い騎手」などヨーロッパの同時代の前衛美術と並行するものであることを指摘した杢太郎は,印象派から後期印象派を経て立体派や青い騎手へ至る流れを説いた後,『芸術における精神的なもの』によりながらカンディンスキーの画論を論じている。色彩や形態に関する造形論的考察から,物質主義から精神主義へと転換しつつある時代精神が芸術の領域に現れているという独自の芸術観までを要約紹介している。ただ,杢太郎は作品に関しては戸惑いを隠していない。1916年の「立体派の絵画」(『文章世界』11巻6号)では,「カンヂンスキイに拠るに,絵画の主要素たる色彩・形象・構図等をまづ自然から放釈するといふことが第一の要務である。〔中略〕それらの要素の先天的の作用ばかりに純化し,それを音楽者が作曲するやうに,全く抽象的に是等の要素を構成して,自家の内部的律動を表現するの資に供せようと云ふのである」とその芸術論の核心に触れつつも,作品については「カンヂンスキイの見本に描いた絵を見ると,三角の形や,不規則な線や,また青・紫などの色の雑然として配列せられて居るのを見る。部分々々には何等かの形があるやうであるが,全体は謎の様である」と歯切れが悪い。同じ頃ドイツでカンディンスキーその人と作品に接し,その人物像を伝えた美術史家澤木四方吉もその作品の評価に関しては揺れ動いており,抽象絵画という絵画史上の変革を同時代人が正当に評価することの難しさを窺わせる。また作品紹介も,山田耕作と斎藤佳三がドイツ留学からの帰国に際し,画商ヴァルデンから託された作品によって1914年3月14-28日に開催した「DERSTURM木版画展」で木版画《森の中の女たち》[図1]と《巌》[図2]が公開されただけで,いずれも具象的な作品であった。翌1913年には杢太郎がヒュウザン会展の作品を論じるため,再びカンディンスキー-53-
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