12月には園頼三により同書のI,II章が訳出され(『美術新報』15巻2号),翌1916年の7月と10月には中川得立が『回想』を翻訳した(『美』7巻12号,8巻4号)。『芸術図1カンディンスキー《森の中の女たち》1907年,木版以上見たように,柏亭や杢太郎の論稿はその紹介の早さや核心を突いている点で注目されるが,それらはあくまで部分的な紹介にとどまり,しかもこの時期最も先鋭な造形的実験を推し進めていたカンディンスキーの作品を理解するためというより,後期印象派以降のヨーロッパ絵画の純粋化・主観主義化への展開の極端な例として論及した観が強い。しかし,不十分であるとはいえ柏亭や杢太郎が先鞭をつけたカンディンスキー紹介は,1915年以降ドイツ語原著の翻訳や抄訳,あるいは英訳からの重訳や抄訳によってさらに直接的に紹介する試みへと継承される。まず,同年5月には年岡長汀が『芸術における精神的なもの』の第VIII章「芸術品と芸術家」を翻訳(『美』6巻11号),続くにおける精神的なもの』は1914年に英訳されており,これにより紹介を行なったのが仲田勝之助と森口多里である。1915年の『新日本』5巻7号に発表された仲田の「カンヂンスキイの『精神諧和の芸術』」は同書のI■III章の抄訳で,森口は1917年の「早稲田文学』143号で同書のかなりの部分を7章に分けて紹介している。また,この間カンディンスキーの詩や舞台作品,舞台作品論も集中的に紹介されている。1913年9月には小泉鐵が詩画集『クレンゲ』から詩9編を『白樺』4巻9号に翻訳している。翌年3月の『1段面』3巻3号には伊藤六郎により『青い騎手』掲載のカンディンスキーの舞台作品「黄色い響き」が初めて翻訳され,6月には『時事新報』図2カンディンスキー《巌》1908-09年,木版-54-
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